中世探偵小説の発見
Natalie Zemon Davis (1928-)
ナタリー・ゼーモン・デーヴィスの『古文書の中のフィクション 一六世紀フランスの恩赦請願の物語』(1987)は、タイトルのとおり、中世一六世紀フランスの古文書(国王への恩赦請願書)のなかから、ひとつの物語世界を抽出しようとする研究である。

デーヴィスは慎重に「フィクション」と規定しているが、ここに読み取られているのは探偵小説の素材だといって間違いはない。つまり、著者は、古文書のなかに萌芽として在る探偵小説(もしくは、その原型)の発見に努めているのだ。国王からの恩赦を与えられるために、殺人者たちが弄する自己正当化の「物語」が蒐集される。
デーヴィスは、探偵小説への興味を一言も洩らしてはいない。しかし「はしがき」に描かれた情景には、その興味が自然とあふれている。朝食を用意する夫にむかって、彼女は、一六世紀の殺人者たちの元気溌剌ぶり(これはあくまで、研究の成果)を嬉々として語るのだ。この情景は、デーヴィスが疑いなくクリスティなどの愛読者であることを示している。

さりげなく「夫が朝食を用意する」と描かれているように、彼女は、フェミニズムのために活動するアメリカ左翼でもある。ある研究書では、バフチン門下の「過激派」で、ホイジンガおよびフランスのアナール学派の後継者と評価されている。こちらのほうも興味深いのだが、ここでは省略する。
デーヴィスの著書は、七点邦訳されている。『愚者の王国 異端の都市』(邦訳 1987)は論文集。著者の多様なテーマ、そして膨大な資料参照の熱度をうかがうに充分な労作である。中世研究という領野は、ホイジンガが豊かに示したように、果てもない迷路を思わせるが、デーヴィスのこの著書にも、そうした奈落のような奥底深さがある。原註だけで100ページをこえる。専門的研究を志すほどの者でなければ必要ないと感じるが、それもまた書物の「力」なのか。

普及度という点では『帰ってきたマルタン・ゲール 16世紀フランスのにせ亭主騒動』(1982)のほうが大きいだろう。



この著者への興味は、宮下志朗『神をも騙す 中世ルネサンスの笑いと嘲笑文学』(2011)によって与えられた。
探偵小説におけるプラクティカル・ジョークという側面。それに関するヒントを少しばかり得られた。ゆっくり考えてみよう。そんなことで、ホイジンガを読みなおしたり、デーヴィスに熱中したりしていたわけだが、整理がつかなくなる。
要するに、探偵小説の原型となる物語は、どの時代にも見つけられるーーという事実をデーヴィスの研究は証明している。
これについての考察は、『北米探偵小説論21』の「C殺人の現象学 3わたしは花火師だ」(967-975p)の展開を、さらに拡大させるだろう。どうもこの部分は、フーコー親爺の言説に引っ張られすぎて、見通しの悪い叙述になっている。
C1 C・ウィルソンの殺人研究
C2 T・カポーティの犯罪ノンフィクション・ノヴェル
C4 ジム・トンプスン論
C3「フーコーによる古文書発掘」のつながりが、いくらか薄い。この部分に少し加筆すれば、とおりがよくなるということではなくて、構成からやり直すほうがいいだろう。
古代探偵小説ーー中世探偵小説ーー近世探偵小説
といった項目を立てるわけだ。
古文書からの発見という方向は、探せばもっといろいろ出てくるのではないかーーということに尽きる。デーヴィス本はその一例にすぎないだろう。
同様のものを、しばらく前に見つけて、気にはなっていた。アンゼルム・フォイエルバッハ『バイエルン犯科帳』(1849)など。「近代刑法の父」と呼ばれるこの人物は、ヘーゲルからマルクスへの流れで必ず言及される哲学者ルートヴィヒ・フォイエルバッハの父親である。
他に、江戸期の犯科帳もある。これは、眠っていた古文書を近年になって筆写し、公刊したもの。


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