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中世!中世!中世!

中世!中世!中世!

Norman F. Cantor (1929-2004)
 ノーマン・F・キャンター『中世の発見 偉大な歴史家たちの伝記』(1991)
 ホイジンガナタリー・Z・デーヴィスへの言及のみ参考にするつもりが、気になるところもあり、ざっと散読するにいたったが、なかなかの収穫はあった。


 タイトルのとおり、主だった(二〇世紀の)中世研究家20名の列伝なのだが、そのなかに、著者自身の恩師・友人知己への私的回顧も点綴されるスタイルだ。その評価が妥当なものであるかどうか、細部にたちいって判断する知識が当方にあるわけではないが、いわゆる「概説」の域をこえていることは見当がつく。たとえば、レジスタンスの闘士としての盛名に飾られるマルク・ブロックについては、その私的エピソードから虚飾を剥ごうと試みられる。「私生活では嫌な奴だった」英雄の秘話などありふれたものだし、こうした行論それ自体、「偏向」といえなくもないのだが……。


 とくに自殺した友人(マックス・ウェーバーの甥であることに強いプレッシャーを感じていた学者テーオドア・モムゼン)を語る章など。たんなる「伝記」を超えて、自らの学問についての厳しい歴史的評価にまで踏みこんでいく。原著の刊行は一九九一年。「歴史の終焉」だの「資本主義の勝利」だのと、たわけた宣言が、アメリカ方面から毒ガスのように撒きちらされた時期だった。著者はしかし、偉大なアメリカを押し上げた二〇世紀の歴史の頂点で、ニューディール派の中世研究が果たした役割りへの反省を忘れていない。
 中世研究は、二〇世紀の歴史激動と不可分であったし、その導きの源であることは出来なかったにせよ、有力な注釈ではあり続けたーーと著者は説得することに成功している。


 ユダヤ系ロシア人の家系にカナダで生まれた履歴は、その叙述のなかに流れこんでいる。モムゼンの自死が、ナチスの暴力支配と五〇年代アメリカ赤狩り時代との二重の受難者であったことに、著者は注意をむける。
 それにしても、著者が師の一人であるジョゼフ・R・スレイヤーを語る「第七章 アメリカン・パイ」は、巻末の文献ノートをもふくめて出色に面白い。乾いた、それでいて敬意と愛惜にみちた「人間観察」の記録。
 考えてみれば、これで当たり前なんだが、われわれは、日本の学者の懐古談(職業的自慢話)などで、これとは正反対の、嫌らしい敬語でベタベタに飾られた「如何に師は偉かった」式の、本来は私的な領域でのみしかやりとりされないような「学問史」記述にたびたび出会ってしまう。たとえば「ウェーバー村」の村長さんの功績が云々といった作文がえんえんと続き、それが学術研究の代用か何かのように通有していく風習。この手のものに遭遇すると、社会学への興味そのものが侮辱されたかのような苛立ちにとらわれる。
 ………


 本書36ページから
 《中世人の洞察と不安は、われわれと極めてよく似ている。そのために中世の発見は、広範囲にわたる持続的な過程である。二十世紀にとって中世とは何か、その意味と関連性は本書の主題をなす中世史家たちが探究し明確にしてきた。精巧な研究手段、多くの専門家たち、継続的で組織的な分析能力を擁した二十世紀は、様々に異なる中世観を生み出してきたし、また中世を解明しただけでなく、中世文化と現代文化の相互作用を刺激した個々の中世経験を発見してきた。》
 
 保留抜きに共感できるわけではないが、とにかく。
 世界の滑落過程が急激に進行している。
 中世への興味に捕らわれることが、それと無関係であるはずもないだろう。
 
 

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