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『トロツキー・イン・ニューヨーク1917』

『トロツキー・イン・ニューヨーク1917』

ケネス・D・アッカーマン『トロツキー・イン・ニューヨーク1917』(2016)
 森田成也訳 平凡社 2024.5

 これは、『暗黒のアメリカ』と同じく、『北米探偵小説論』(1998年版)第Ⅱ章「戦争は国家の健康法である」の執筆時に参考にできれば良かったと思わせる書物。
 著者の思想傾向も似ている。アメリカの良心的左翼による嫌DT本。データの蒐集が膨大、ひたすら分厚いページに仕立てあげることが読者サービスの基本、という方針だ。残念ながら歴史観が希薄なので、頁数が多いのは迷惑する。この著者の場合は、革命運動史にあまり詳しくない(あるいは、にわか仕込み)ので、不正確な記述が目立ったりする。

 『トロツキー・イン・ニューヨーク1917  革命前夜の10週間』
 タイトル通りの内容。革命の英雄トロツキーが「ニューヨークに遺した輝かしい足跡」という著者の「お国自慢」の他に、何か積極的な読みどころがあるのだろうか。現代史、ロシア革命史、トロツキー個人の肖像、もしくはその思想的意味について、何か重要な考察をふくんでいるのだろうか。

 1951年生まれの著者は、60年代末に特別の「教育」を受けた世代。だが、この経験にトロツキーの名前は刻まれていなかった。後発的にトロツキーを発見したことが、この本の無視できない限界となっている。とにかく、勤勉に資料にあたった「労作」以上のものではないのだ。

 たとえば、日本語版序文には
 《二〇一七年、ロシアのテレビ局「チャンネル・ワン」は、ボリシェヴィキ政権奪取一〇〇周年を記念して、簡潔に『トロツキー』と題された八話からなる豪華な伝記ドラマを放映して物議をかもしたが、ロシア当局は口をつぐんだ》とある。
 これきりの言及では、著者がこの作品を観たのかどうかも判断しかねる。

『レオン・トロツキイ』

 著者には、移民都市、国際都市、アメリカン・デモクラシーのシンボル都市NY自慢という強固なモチーフがあるのだろう。著者は、ポーランド移民の祖父母と、自身の家系に誇りをいだいているのだろう。そこにこそ「叙事詩」としての本書の価値はある。
 本書が、トロツキー研究者の森田成也によって訳出されたことは「幸運」だった。でなければ「間違いだらけの」困った奇書になる畏れもあった。

 たびたび重要なところでは『Life and Death of Leon Trotsky』から引用されている。ところが、原注では「Sarge and Trotsky」としか表記されていない。この文献については、347ページの、トロツキーの伴侶ナターリヤ・セドーヴァの記述部分に、彼女が《一九五一年にフランスで出版されたトロツキーの伝記をヴィクル・セルジュと共同執筆し》とある。これは出鱈目だ。
 セルジュは1947年に死んでいる。
 原著者は、セルジュに関して、おそらく何も識らないのだろう。

ヴィクル・セルジュ

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