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柳田泉の探偵小説論

柳田泉の探偵小説論

 柳田泉(一八九四-一九六九)は、実証的明治文学研究の泰斗として識られる人物だが、その視野は柔軟で幅広く、黒岩涙香研究などにとどまらず、探偵小説を対象にしても、示唆に富む考察を遺している。
 『随筆探偵小説史稿』が、その最もまとまった論考。『探偵春秋』に一九三六年から翌年にかけて連載された。『続随筆明治文学』(一九三八 春秋社)に収録され、『随筆 明治文学2』(二〇〇五年 平凡社東洋文庫)に再録されている。
 下に引用するのは、連載の第二回から。涙香登場以前の明治前期に関する部分ーー。
 
 この時代の読者は、文学上の一ジヤンルと纏つた探偵小説といふものは与えられてゐなかつたが、いろいろなものでその探偵趣味を満足させてゐた。この頃の読者だつて探偵趣味がなかつたのぢやない。前代から、乃至もつと前からの遺伝物として、いから低俗なものにせよ、可成り豊富にその趣味をもつてたことは、私が一々証拠を挙げて述べ立てるまでもなからう。徳川時代のみでも殆んど汗牛充棟といふ形容詞を辱かしめない幾百千部の復讐物、宝物探しから『某々政談』お家騒動の類まで多少の探偵趣味を示すさざるはなしといふ有様だから、推して知るべきだ。(何うして徳川時代にかう探偵趣味が発達したかといふことは、探偵小説の本質論に触れて来るから、ここでは立ち入らないことにしよう)。それで、兎も角、明治初期の読者層なるものには、探偵文学趣味が可成り豊富にあつたこととして、さて、彼等はその探偵文学趣味を何で満足させてゐたかといふと、先づ二通りの手段があつた。その一は、伝統的なもの、その二は外来物であつた。
(春秋社 239P)

 括弧のなかで注記されている「探偵小説の本質論」とは何か。柳田が、他の著作においてその考察に深入りしなかったことは仕方ないとしても、残念ながら、この根源的な問いに応えようとした後代の試行を、わたしは知らない。もちろん、軽いエッセイだと断っている柳田は、江戸探偵小説について、ルーズな感想を投げ出しているだけだ。本質的な問題提起と受け止めた者は皆無だったのかもしれない。それはそれで、現在のわれわれが、その問いかけを引き継げばいい。
 柳田泉の主要な仕事は、『政治小説研究』全三巻(一九三五-三九)に凝縮されている。上巻後半を占める『佳人之奇遇』研究はその最もたる精華だ。戦後に復刻されたさいに、加筆はされているが、戦争下において資料の焼失に見舞われ、本格的な増補をくわえられなかったことの無念を、著者は随所に洩らしている。わたしは、柳田について、「昭和十年代」文学者の一人と位置づける。転向と翼賛の時代を生き延びたが、戦後はその研究の高峰ゆえに後続研究者によって「偶像化」されてしまったような印象も否めない。
 
 柳田が、江戸時代の読者大衆の探偵趣味と漠然と規定した[欲望]は、ルイ・シュヴァリエが『労働階級と危険な階級』において対象化しようとした群衆〈マルチチュード〉と同等のものだ。バルザックが無造作に景気よく、読者にばら撒いていた[不穏な欲望]は、『大岡政談』などの江戸探偵小説にも、微細に露出していたはずなのだ。

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