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その名も威区土留飛豪

その名も威区土留飛豪

 フランスの一九世紀において文学の制度を象徴する人物をひとり選ばなければならないとすれば、それはうたがいもなくヴィクトル・ユゴーだろう。あるいは、ジッドの古典的定式にならっていえば、《ああ! ヴィクトル・ユゴー》なのだ。実際にも、ユゴーがフランス一九世紀文学の中心的存在であることをあらわすもっとも意味深い指標はーーかれの並外れて長い文学的生命や、その作品の多産さを超えてーーかれが今日ではほとんど読解不可能な存在にとどまっているという事実、すなわち、わたしたち自身がどこまで現代的〈モダン〉であるかはユゴーへの反発を尺度にして確定されうるという事実である。マラルメは、あとでもたびたびとりあげるテクストのなかで、わたしたちの現代性〈モダニティ〉の発端(《この趣味をきわめて現代的〈モデルヌ〉な趣味と判断せよ》)を一八八五年におけるユゴーの死の時点に置いている。ヴァレリーによれば、一八四〇年から一八九〇年までのすべてのフランスの詩人にとっての問題は《ユゴーとは別のものを作ること》だったという。ロートレアモンにとっては、ユゴーは《大きなぶよぶよの脳味噌》だったし、シャールにとっては、《尊大なふとっちょであり、非常識のなかの偉大な成功者か、その逆のどちらかである》。いや、さらに悪いことには《ほら吹きの興行師であって……まったく煮ても焼いても食えない》。[…]現代性〈モダニティ〉(すなわち周辺性と断片化)の言語を鋳造するのにきわめて大きな寄与をなしてきた作家たちは、その誰もが例外なく、ユゴーという中心的存在に敵対するなかで自己を規定してきたのであった。このことをもって、かれがこの場で担うことになる役割、すなわち、フランスの一九世紀における文学それ自体の換喩としての役割を説明するに足る十分な根拠とさせてほしい。
ジェフリー・メールマン『革命と反復 マルクス/ユゴー/バルザック』(一九七七)上村忠男・山本伸一訳 太田出版 一九九六 67-68P

「威区土留飛豪」の表記は、東海散士『佳人之奇遇』によった。
他に、「ビクトル、マリー、彪吾(彪豪)」の表記もあり。
ユゴー作品の初訳は、明治一七年(一八八四年)。『九十三年』の部分訳だった。

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