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シムノンにおける密室トリック

シムノンにおける密室トリック

 エドワード・D・ホック編の『密室大集合』All But Impossible!(一九八一)に、ジョルジュ・シムノンの短編「クロワ・ルース街の小さな家」が入っている。ホックは、この一九二七年の作品が、シムノン《の何百点という長短編中、唯一の密室物である》と自慢している。
 これは、メグレ以前の作品だが、語り手はパイプ愛好者。短編集『13の秘密』のなかの一篇である。
 作者(語り手)は、密室殺人は《心理学や推理能力の問題ではなく、純粋に幾何学の問題だ》と提起する。そして「不可能だ!」と何度も叫ぶ。インポッシブル。たぶん、編者のホックは、この「不可能なり」の連発を眼にしただけで、すっかり狂喜してしまったのだ。
 「クロワ・ルース街の小さな家」は、密室トリックとしては、『黄色い部屋の謎』の系列に分類できる。原型的ではあるが、変則的だ。ただし、着地の仕方は、メグレ風の「心理学」的なものだ。合理に人情が優先する。
 この作品は、今日の観点からするなら、パロディとみなされることが無難だろう。密室は不可能殺人トリックの「リアリズムの夢・夢のリアリズム」だ。たとえば、「51番目の密室」とか「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」などのパロディ志向に、その本質が観察できる。探偵小説のゲーム性の真髄がそこに凝縮されている。人工性の密室生成・密室創出。何処にもない場処という幾何学的ユートピア。ーーこうした密室的密室思考に、探偵小説の絶対的隘路と栄光とが約束されている。
 
 ーー以上は、バルザックの二つの密室小説を論述するための前置き。
 密室は本来、存在しない空間だ。密室がなければ造ればいい。それが作家的本能の自然な欲求だ。密室殺人小説においても、バルザックはバルザックであることを証する猛々しい雄叫びをあげた。「グランド・ブルテーシュ奇譚」(一八三二)。
 

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