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バルザック探偵小説と斬首処刑人

バルザック探偵小説と斬首処刑人

 バルザック短編の最高峰の二篇「グランド・ブルテーシュ奇譚」「恐怖時代の一挿話」は、早くから探偵小説として紹介されていた。
 『世界探偵小説全集3』(博文館 一九二九)に、「高櫓館」「恐怖時代」として。田中早苗訳。目次をみると、ガボリオの駄作『書類百十三』がメインなので、その付録みたいな体裁だが……。
 高櫓館密室の殺人。


 最近の翻訳は、『グランド・ブルテーシュ奇譚』(光文社古典新訳文庫)、『知られざる傑作』(岩波文庫)に、それぞれ収録されている。


 岩波版の解説(水野亮)によると、「恐怖時代の一挿話」は、死刑執行人サンソンの回想録(バルザックと友人による代作)の序文として書かれたもの。バルザックは六代目のサンソンと同年齢で親交もあったといわれる。フランス革命の最中に執行人を務め、国王の首をはじめとして三千人執行の[記録]で知られるのが四代目。この有名な人物の回顧録を、バルザックが友人と[代筆]した。
 六代目も長い回顧録(単著ではなく、執筆協力者がついた)を書き、後年、縮刷版も編集された。その翻訳は『ギロチンの祭典』として刊行されている。縮刷版の編者まえがきには、ーー「『フランス革命史に役立てるための回想録』は、真偽のほどは怪しいが、例のごとく金に困ったバルザックの筆が入っているので、面白い読み物だ」とある。


 「代作」と「真偽の怪しい回想録」は同一物のようだと見当はついたが、その後、リサーチはすすまなかった。
 そこに折りよく、というか、バルザック筆になる『サンソン回想録』翻訳(国書刊行会)が、有り難くも実現したのである。ともあれ、隔靴掻痒であったさまざまな疑問点が、これによって、すべてきれいに納得がいった。あらためてバルザックの獰猛な偉大さに賛嘆する。
 六代目の回想録において、真髄となるのは、彼自身の回顧ではなく、四代目(彼の祖父)が克明に記した[斬首三千人]の淡々とした日録だ。分量的にも半分以上ある。毎日、花に水をやるように、ギロチンを首に落とした。こうした記録を超えるものなど誰にも書けないことは、自明だろう。バルザックの[代作者]としての挑戦は、そこに向かった。言葉になしえないことを、作家は幻視せねばならない。バルザックは死刑執行人の[内部]に入り、その[物語]を、サンソンに成り代わって饒舌に語った。創作と真実を分け隔てるものなど、この書物にはどこにもない。
 『サンソン回想録』にも、四代目の現在を描きつつ、そこに先代の伝説を挿入する手法がとられている。長い第八章にあたる「アンリ・サンソンの手稿」がそれだ。訳者(安達正勝)も指摘するとおり、これは、完璧なバルザック世界の創作物だ。
 バルザックの原〈ur〉探偵小説において、死刑執行人は、政治警察の密偵とともに、根幹的な要素であったことが、よく了解できる。


 

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