メグレのごとく生きる者 5
『怪盗レトン』は、メグレ・シリーズの第一作。一九二九年九月執筆。刊行は翌年。
続く三年間のうちに、シリーズは十八作を数えた。第十九作『メグレ再出馬』(一九三四)をふくめ、これらが、初期メグレとよばれる作品群だ。
『怪盗レトン』の前半はまだ、ルパンやファントマなどの怪盗路線をなかば踏襲している。ペンネームで書きまくっていた時期のシムノンはおそらく、このタイプの冒険ものの量産にはげんでいたのだろう。書き慣れた路線に、作者は、独自のヒーローを登場させた。メグレの肖像はまだ、いくらかごつごつと硬いが、特有のシムノン世界の定点としての位置を模索している。メグレを発見・創造したことが、作家シムノンの長命と多産を保証した。
メグレ小説は、常に均一な構成によって組み立てられている。さまざまな事件や人物を扱いながら、語数も一致しているのではないかと思わせるほどに、一定のページ数におさまってしまうーー。
①驚愕の事件が起こる。
②メグレが出動する。単独であったり、部下を指揮したり。舞台も、パリにかぎらず、地方での活躍もある。
③事件解決の章。
①は、だいたい邦訳で三十ページほど。ここで、読者を捕らえてしまう職人芸が発揮される。③も短いが、一般的な探偵小説の解決編とは異なっている。異相は、②においてすでに明らかであり、物的証拠の収集と吟味といった捜査過程は重視されない。メグレは、容疑者たちとの面談・聴取を繰り返す。猟犬として現われ、次第に、懺悔聴聞僧のような位置に昇っていく。
犯人の見当をつけるのは容易だが、作者の興味は、もともとそういった知的ゲームには置かれていない。伏線を張り、適宜それを回収して推理をすすめていくという側面にも無関心だ。その側面に愉しみを求める読者層は、シムノンを読んで満足することはない。
この作品では、ヨーロッパを股にかける怪盗団の頭目がパリに現われ、それと同時に彼とそっくりな男の死体が発見されるまでが、①になる。②は、メグレと怪盗の対決。いくらかは、怪盗もので探偵が後手にばかりまわるパターンも混じる。メグレは部下を喪ったうえ、狙撃されて負傷する。余談だが、殉職する部下は、メグレの「コピー」といわれた若いトランス(彼が別シリーズの『O探偵事務所の事件簿』にスピンオフを遂げたことはすでにみた)。
②のなかばから、③にいたって、怪盗の人物像は、ルパン型〈モデル〉からシムノン世界の犯罪に囚われた悲劇的人物像へと、変貌していく。敵を追いつめたメグレも、彼の告解を聴き取ってやり、共鳴する感情をみせる役柄に移行していく。
そして、最終ページには、メグレ夫人が、ヒーローにねぎらいの言葉を捧げるために登場して幕となる。こうして作家は、その後四十年つづいたメグレへの途のゲートに立った。
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