マルセル・エイメ覚書3
次は、ユーモア作家の一面。
短編集『マルタン君物語』Derrière chez Martin(一九三八)に代表される。
この作品集は、すでに戦前『人生斜断記』のタイトルで全訳刊行(一九三九)されている。カミの『人生サーカス』と対になっていたかのような印象だ。カミの「サーカス」に比して、こちらは「遮断機=斜断記」。開かずの踏切がところどころに待ちかまえている不安な[人生]の不可思議な記録なのだ。
戦後、『世界ユーモア文学全集4』に『マルタン君物語』(一九六一)として新訳された。ここでも、カミとの関連は強かった。一九六九年と一九九〇年(文庫化)に再刊された。
順を追って、四番目の「死んでいる時間」から。
一日おきにしかこの世に存在しないマルタンという哀れな男が、モンマルトルに住んでいた。二十四時間のあいだ、真夜中から真夜中まで、彼はわれわれみんなが生活するように生活していた。ところがそれにつづく二十四時間は、彼の肉体も精神も、無に帰してしまうのである。
(江口清訳 ちくま文庫 一九九〇 114ページ)
マルタン四号の置かれた世界は、この世ならぬファンタジー・ワールドだ。彼は存在と非在をくりかえす。非在の様相を、「なくなってしまう」としか、作者は説明しない。SFのトランスポーテーションなど、あてはまりそうな定式はいくつもあるはずだが、作者の関心の外だ。話は、「一日おき」というルールのほかは、リアリズムの進行をとる。
これは、エイメ的変身の一つのヴァリエーションとみなせる。ーー存在する時間が連続しない。彼においては、[有の二十四時間]と[無の二十四時間]が交互にやってくる。
[…]
とはいえ、これらを、単独に、奇想ファンタジーとしてあつかうのでは、不徹底な分析に終わるしかない。
一つには、エイメの変身譚の哀感的ユーモア(もしくは、諷刺)を、状況的な所産と解釈しなおす方向が考えられる。一九三〇年代後半からの十年、エイメの主要な短編集は書かれている。これを三部作とみなすことが出来る。『小説の時代』が指摘するように、これらは、第二次大戦後の[新世界]に向かいえなかった「後退的」なものだ。それは否定できないにしても、その「後退」の実相を考察してみることは、戦間期フランス探偵小説を論述する章のまとめとして必要な作業ではある。
三部作の見取り図を示す。
『マルタン君物語』ーー奇妙な戦間期。
『壁抜け男』ーー奇妙な敗戦(被占領)期。
『パリのワイン』ーー奇妙な戦後(戦勝)期。
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