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マルセル・エイメ覚書4

マルセル・エイメ覚書4

 『壁抜け男』Le passe-muraille(一九四三)の表題作「壁抜け男」は、おそらくエイメの最も高名な作品だ。
 『異色作家短編集12』(一九六三)には、ここから四篇が取られている。[エイメ=異色作家]という像は、この一冊で確定した。異色作家の称号のほうが、ユーモア作家というよりは、少しだけ近い。少しだけだが。
 
 モンマルトルのオルシャン街七五番地乙の四階に、デュチュールという名前のすぐれた男が住んでいた。この男は不思議な才能の持主で、何の苦もなく壁を通り抜けることができるのだった。鼻眼鏡をかけ。黒く短い山羊ひげを生やしたこの男は、登記庁の三級役人であった。寒い季節には、乗合バスで役所に通い、時候がよくなると、山高帽をかぶって歩くことにしていた。
(中村真一郎訳 早川書房 9ページ)

 いくぶんゴーゴリ風の味つけは混ざっているが、これは、『マルタン君物語』の諸話と同一趣向の話であり、語り口だ。冒頭の一連で、話の眼目とアイデアの鮮烈さがすべて、さらりと披露される。至芸だ。後の展開や、コントのオチといった要素は、この作者の興味をあまり惹かないようでもある。
 そして、「壁抜け男」は、変身譚という領域では、必ずしもエイメのオリジナル作品とはみなせない。アイデアは、アポリネール「オノレ・シュブラックの失踪」の発展だ。二次作品ではなく、埋めこまれたイメージを発展させた。意図としては、パロディであったとも読める。しかし、二作品のあいだには、三十年という歳月の隔絶があり、その幅に、第一次大戦と戦間期が押しこまれている。アポリネールの「壁」には、状況の投影はない。だが、エイメの「壁」は、発表当時のフランスを投影せずには済まなかった。

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