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『大岡政談』に始まる

『大岡政談』に始まる

尾佐竹猛の探偵小説論
 尾佐竹猛(1880-1946)は、大審院判事を二十年近く務めながら、明治文化研究にも仕事を遺した人物。『NADS21』では、361Pで、注釈的にふれた。ここでも、主要な関心対象にすえるわけではない。


 
 江戸探偵小説の濫觴は、『大岡政談』に見つけられる。その理由は、次の四点となる。
 ①作者が匿名(無名)のまま、作品の背後にいること。これは、探偵小説の真の主人公が「読者」である、という原理の証明でもある。
 ②物語のすべてが、探偵ヒーローのために捧げられることを明快に示した。
 ③犯罪をとおしての都市風俗を描き、近代社会の黎明を記録した。
 ④探偵vs犯人の抗争によってストーリーをすすめ、大団円に探偵の勝利をおく定型を確立した。
 
 これらを敷衍していくと、短いスペースでは収まらないので、ここでは、①についてのみ最小限の説明をくわえるにとどめる。
 『大岡政談』の流布本は、二種ある。帝国文庫版(一九〇六)は、十六件の作品を収録しているが、それ以外は『大岡政談』シリーズとして認めない、といった厳密さを要求しているわけではない。昭和になってから、尾佐竹猛が解説をつけた新版(一九二九)が出ている。どちらも、国会図書館デジタルコレクションで一般公開されている。尾佐竹版は、青空文庫でも公開されている。もう一種の有朋堂版(一九二七)には、短編小話も収録されている。
 近年の復刊、平凡社東洋文庫版(一九八四)は、二編を帝国文庫版から採るほかは、だいたい有朋堂版により、他にいくつかの小話を再録している。
 『大岡政談』の成立に関して、何年に初刊がなったとか、精確な研究は眼にしたことがない。モデルになった実在の人物大岡忠相が没した一七五二年以降といった漠然とした年代が考えられる。多数の作者が、やがて大岡政談のタイトルで一括される作品群の制作に関わった。共作したのではない。また、ジャンルもさまざまだった。大岡政談というヒーロー系の物語集合が形づくられ、そこに職人集団(個人としては無名の作者)が仕事の場をみつけた。作者が作品生産の主体であるという近代的な観念はまだ、現われていない。
 どちらかといえば、読者が主役だ。読者が、この時代の稗史(小説)の確立を現実化した。近代社会以前の様態だが、まぎれもなく近代社会を用意した因子の一つだ。読者の誕生、あるいは、近代小説という観点からみるなら、読者の発見。探偵小説という[共同体]は、読者によって培養される。その明らかな前奏曲は、『大岡政談』の成立過程に跡づけることが出来る。
 尾佐竹猛は、上記の解題に述べている。
 
 所謂大岡裁判なるものは、徳川時代中期の無名の大衆作家の手に成り、民衆に依つて漸次精錬大成せられて、動かすべからざる根拠を植付けられたのであるから、その生命は最も永いのである。我国に於ける大衆文芸として最も優れたるものの一つである。
 その何が故にかかる声誉を得たかといへば、これは我国の文芸に乏しき探偵趣味のあるのが、その主たる原因である。
帝国文庫 博文館 一九二九年 1P

 「伯山は天一坊で蔵を建て」という川柳がある。初代神田伯山が『大岡政談』随一の人気作『天一坊』の講談で博した評判を諷したもの。作者名ではなく、講談師の盛名だ。印税で儲けたのではない。作者の[無名性]とは、読者をふくめた[共同性]の別側面でもある。江戸期の探偵趣味の発現は明瞭だった。そこに照明を与えた柳田泉の見解については、前回に書いた。
 ーーというところで、今日は、ここまで。
 このあたりは、やはり、小酒井不木の検討からすすめていくべきか。飛躍を埋められない。軌道修正に時間を要するようだ。

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