『ヨーロッパ戦後史』
8 東ヨーロッパにおけるポスト共産主義の、こうした記憶の再整理によって、共産主義をナチズムと比較するタブーが崩れ始めた。
たしかに政治家や学者は、そのような比較にこだわり始めた。
西側では、このように二つを並べて検討することについては議論がつづいた。
ヒトラーとスターリンを直接比較することが問題だったのではない。
今ではこれら二人の独裁者のひどい特質に異議を唱える者はほとんどいない。
だが共産主義自体をファシズムやナチズムと同じカテゴリーに入れることは、ドイツだけでなく西側自身の過去に対して具合の悪い意味合いをもった。
西ヨーロッパの多くの知識人にとって、共産主義は進歩主義という共通の遺産から出た失敗の変異体だった。
しかし中央・東ヨーロッパの知識人にとっては、それは二〇世紀の独裁主義の犯罪病理がこの地域にみごとに適用されたものであり、そのようなものとして記憶されなければならないのだった。
ヨーロッパは統一されたかもしれないが、ヨーロッパの記憶は深い非対称性を示している。
これから先、アウシュヴィッツの焼却場からある種のヨーロッパを築き上げることがなぜそれほどに重要と考えられたか、その理由を思い起こそうとすれば、歴史だけが頼みとなる。
恐ろしい過去の標識や記号で結び合わされた新しい「ヨーロッパ」は、注目すべき成果ではあるが、過去の重荷を背負いつづけなければならない。
ヨーロッパ人がこのきわめて重要な絆を保持しようとするなら、すなわちヨーロッパの現在に、訓戒の意味と道徳的目的を備えさせると言うのであれば、次々と生まれる世代にいちいち新たに〈教えて〉やらねばならない。
『ヨーロッパ戦後史 Post War』2005 トニー・ジャット
森本醇訳 みすず書房 2008.03 下481、488p
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