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『ヨーロッパ戦後史』

『ヨーロッパ戦後史』

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 死者の総数は信じがたいものだ。
……何よりも衝撃的なのは、死者に占める非戦闘員の数である。
少なくとも一九〇〇万人、つまり全死亡者数の半分以上なのだ。
一般市民の死者数が軍人の死者数を超えたのは、ソ連、ハンガリー、ポーランド、ユーゴスラヴィア、ギリシャ、フランス、オランダ、ベルギー、ノルウェーだった。
イギリスとドイツでだけ、軍人死者数が一般市民のそれをはるかに超えた。
ソヴィエト連邦領土内での一般市民死者数の推定にはかなりの変動があるのだが、真実に最も近いと思われる数字は一六〇〇万人超である(これはおおざっぱに見てソ連軍の死者数の二倍に当たる。軍人死者のうち七万八〇〇〇人がベルリンの戦闘で斃れた)。
分割前ポーランド領内における一般市民の死者数は五〇〇万人近く、ユーゴスラヴィアでは一四〇万人、ギリシャでは四三万人、フランスでは三五万人、ハンガリーでは二七万人、オランダでは二〇万四〇〇〇人、ルーマニアでは二〇万人だった。
これらの死者のうち、とくにポーランド人、オランダ人、ハンガリー人のなかで目立つのがユダヤ人で、その数およそ五七〇万人、さらにロマ(ジプシー)二二万一〇〇〇人を加えなくてはならない。
以下に一般市民の死因をあげよう。
死の収容所と、南はオデッサから北はバルト海までのキリング・フィールドにおける大量殺戮、病気、栄養不足、飢餓(意図的その他)。
ドイツ国防軍、ソ連赤軍、あらゆる種類のパルチザンによる人質の射殺および焼殺。
一般市民に対する報復殺人。
戦争全期わたる東部戦線と、一九四四年六月ノルマンディ上陸から翌年五月ヒトラー敗北までの西部での、農村および都市における空爆・砲撃・歩兵戦の巻きぞえ。
難民の列に向かって故意に行なわれた機銃掃射。
軍需産業や刑務所における奴隷労働のあげくの死。

『ヨーロッパ戦後史』Post War 2005 トニー・ジャット
森本醇訳 みすず書房 上25p

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