寺田透の『バルザック』
寺田透の『バルザック』(一九五三)については、花田清輝の適確な評言が遺っている。
かれが『人間喜劇』の愛読者になったのは、太平洋戦争の期間中だったらしい。かれは傍若無人に日本の現実を黙殺した。そうして、かれの唯一の現実として、かれのいわゆるバルザックの「作品現実」と対決した。すくなくともかれは、バルザックの「作品現実」を透さないでは、いっぺんだって、戦火の荒れ狂っている日本の現実をながめたことはなかったようだ。
「さまざまな発見」一九五四 『花田清輝全集四』一九七七 講談社 465P
花田は、寺田透におけるバルザックが、花田自身のルネサンス人間の探究や、石川淳の江戸文学研究などと同等の、戦時下抵抗のささやかな個人的軌跡だった、と指摘する。
寺田『バルザック』の主要な部分は、戦後初期に書かれている。その巻頭におかれた「バルザック断章」(一九四七)において、寺田は、ドストエフスキーに惹かれるのと同じ位相でバルザックに惹かれる日本人がいないのは何故か、という問いから問題提起をはじめる。要するに、簡単にいえば、バルザック作品には人生論上の苦悶がない……。そうした存在に惹かれる自分の文学的関心とは何なのか。と、寺田は、なかば逆説的に自らの文学的「抵抗」のよりどころを探っていく。
この対比には、明らかに、花田のいう《戦争がはじまり、小林秀雄などの手によって、ドストエフスキー流行の火ぶたがきられた》無惨な翼賛社会への批難がこめられている。ドストエフスキーをダシにして、己れの「戦争協力」を正当化した文芸批評の術策……。
かやうなドストエフスキー鑑賞の態度が、自分自身に関するわれわれの不安と、われわれの貧困の反映であつたことは疑ひがない。[…]われわれは自己の存在様式を裁断面を持つことによつて一層の輝きを放つダイヤモンドにたとへたりした。かくてわれわれは自我をあるがままに表現し得ぬことを宿命の如く歎き、己の感情が己の欲する形ですなほに発露しないことを常住悲歎の種としたが、ありやうはそのとき、自意識過剰を主題とする抽象的抒情に耽つてゐたのである。われわれにとつて自我の問題とは、それ自身、自我の行動力の衰弱の所産である自意識過剰の問題であつたのだ。
『バルザック 人間喜劇の平土間から』寺田透 現代思潮社 一九六七 18P
ここに、この筆者の独自な「戦後文学性」は際立っている。「自意識過剰をテーマとする抽象的抒情」を自己〈ゼルプスト〉の問題として超克することーー。そこにこそ、『死靈』をはじめとする戦後文学の共通基盤があった。寺田は、その只中(一九四八年)に、『浮かれ女盛衰記』を翻訳する。
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