メグレ覚書00
メグレものは、なにしろ数が多いので、来年まわしのプランだったが。少し前倒しに、メモしておく成り行きになった。
初期の作品は、やはり濃密だ。
気になる一点は、ハメットとの同時代性。
語り口の問題。シムノンとメグレは、ほとんど一体化している。形式は三人称だが、作者の視点は、主人公から大きく離れない。その意味で、ハメット的な一視点と重なる。しかし、シムノンはハメットが試みたような厳格な[非情さ]を選ばない。ハメットは内面を排除したが、シムノンはむしろ、場面におうじて彼の内面を描きこむ方法をとった。
『霧の港』(一九三一)のなかばで、メグレは、自分の立場は裁判官でも警察官でもないと、自らに確認している(ついでにいえば、明らかに推理機械でもない)。このミステリの冒頭の、主要な謎は、いちど殺されかけた男がふたたび毒殺される、といったものだ。結論からすると、彼はその謎を解くことに失敗する。メグレの関心も、作者の興味も、謎が解けないという事件の特異さ(関わる人間模様の複雑さ)に深入りしていく。
メグレによる、事件とそれを引き起こす人間への共感は、アメリカのハードボイルド派のなかでは、ロス・マクドナルドに引き継がれていった。シムノン的[一人称]が主人公の内面を排除しなかったのは、彼の探偵像がアメリカ的な[虚ろな男]とは無縁であることの証明だ。ところが、このシムノン方式(むしろ、無方法)は、他の書き手には操縦がむずかしい。真似することは出来ないではないが、ストーリーの収拾がつかなくなる畏れが大きい。
『霧の港』の第十章「船の三人」でメグレがとる行動は、一つの賭けだった。容疑者は大きくいって二つのグループ。そのどちらもが[真実を語らない]ことで一致していた(これはメグレものでよく使われる型式ともいえる)。彼は賭けの前半に勝利をおさめるが、後半では惨敗をきっする。犯人究明の途は、かえって遠のいてしまう。見事な場面だし、他の書き手には描けない。
肝腎なのはナラティヴの問題。
いろいろあるけれど、そこから入って、簡潔に論じることが出来ればいい……。
プランとしては、来年の日程。
2020.08.12
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