占領期のメグレ・パートⅡ
「死の脅迫状」が発掘され、そして邦訳されて、メグレ作品の定数は、長編七十五篇、短編二十八篇の一〇三篇となった。
とはいえ、フィナーレを飾るには、この作品、低調すぎて、愛好家を困惑させるものがある。ーー双子の兄に脅迫状がとどき、メグレがその異常な一家の別荘に派遣され、惨劇を防ごうとする話だ。クリスティの毒殺ものを期待したくなるような冒頭ではあるが、そうした飛躍がみられるわけではない。
この時期のシムノンは、おおよそ三つの路線を試行していた。①はメグレ長編に明瞭な安定路線。②はメグレものを含めて短編ミステリ。③はメグレという案内人を省略したミステリ(あるいは非ミステリ)世界。このうち、②の短編に大胆な仕掛けのものがあったりしてかなり興味深いのだが、その反面、錬成不足な残念作も少なくない。発掘された作品は、その不燃焼の一例だ。
ところで、この作品の発表雑誌の件で、これは内容そのものには関わらない次元において、別個の問題が発生してしまう。
「死の脅迫状」は、週刊誌「レボルシオン・ナショナル」、一九四二年三月から四月に六回連載された。「国民革命」には、ドリュ・ラ・ロシェルの《わたしはヨーロッパにおけるデカダンスの進行を測定したからこそファシストなのだ。ヒトラーの天分とヒトラー主義より他には何も頼れなかったのだ》というファシスト宣言が掲げられていた。(引用は、有田英也『政治的ロマン主義の運命』名古屋大学出版会 二〇〇三 409ページ)。
このため、長く初出のまま再録されなかったのは何故なのか、というゴシップ風の疑問がまつわりつくことになる。いくつかの回答が考えられるーー。①ファシスト雑誌に寄稿したことを恥として隠蔽した、という憶測は、最も通俗的に起こりやすい。これは、あまりに下らないから最初に却下しておこう。②出来の悪さを恥じて隠した。これも、シムノンのような巨大な我執にとりつかれた作家には合致しないから、論外とする。では、正解は何かというとーー。シムノン作品のあるもののごとく、決定不能性のままにしておいたほうがいいのか。意味ありげな文書(脅迫状)から始まるところから、何らかの暗号が作品内に埋められているとも想像しうるが、この仮説を、翻訳を介して証明することは不可能に近い。したがって、羊頭狗肉のような結論で我慢しておくしかない。ーーさすがのシムノンも、書いたことを忘れていたのではないか、と。これでは、メグレのおとぼけのパロディにもならないけれど……。
いや、もう少しつきつめれば、占領期シムノン世界の、特に短編の可能性について、いくらかの発見があるかもしれない、と想うのだが、今はここまで。
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