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占領期のメグレ

占領期のメグレ

メグレと超高級ホテルの地階 Les Caves du Majestic 1940.4-8(1939.12執筆)
 長島良三訳 光文社『EQ』 1995年5月

メグレと死んだセシール Cécile est morte 1941.2-4
 長島良三訳 光文社『EQ』1991年11月

メグレと判事の家の死体 La Maison du juge 1941.4-8
 長島良三訳 光文社『EQ』 1988年3月

以上三冊は
メグレ帰る (長編合本) Maigret revient 1942.10 に収録


メグレと謎のピクピュス Signé Picpus 1941.12-42.1
 長島良三訳 光文社『EQ』 1983年7月

メグレと奇妙な女中の謎 Felicie est la (1942.5執筆)
 長島良三訳 光文社『EQ』1986年5月

メグレと死体刑事 L’Inspecteur Cadavre (1943.5執筆) 長島良三訳 読売新聞社 1981

 ⑤⑥は、Signé Picpus (長編3+短編集) 1944.1に収録

メグレ激怒する Maigret se fâche (1945.6、パリで執筆  『メグレのパイプ』La Pipe de Maigret 1947所収) 長島良三訳 河出書房(メグレ警視シリーズ)1988 


 メグレの謎は、ほとんどフランスの[奇妙な占領]期に隠れている。
 材料は上の七作。遺憾ながら、文庫化もある⑦を除いては、どれも入手困難である。これらを順序立てて読み解かないと、この作家の重要な転換点をつかまえることが出来ない。
 これら長編の基調をまとめていえば、安定娯楽路線としてのメグレ・シリーズの確立だ。つまり、日本的な尺度をあてはめれば、捕物帖世界の確定である。占領された首都パリからは遠く離れていたものの、シムノンの住居も、大西洋岸の占領地帯にあった。捕物帖世界にパリの風物詩は豊かに描きこまれていたが、そこには[歴史]が欠落していた。故意にそうしたのだ。軍靴によって蹂躙されたパリの[現在]を描くことを、彼は拒否した。捕物帖の幻想都市パリを敢然と選んだ。
 探偵小説でありながら、その擬似的変種とみなされる作品世界。日本にも大量に生産され、大量に読まれた。
 野村胡堂の銭形平次シリーズは、一九三一年に開始され、以降二十六年、三百八十三篇の長短編が書かれた。シムノンより息は短かったが、その同時代性は明瞭だ。
 初期メグレには、青春の彷徨の色がいまだ濃い。中期(占領期)メグレは、娯楽路線への転換だった。だが、その転換には故国(この場合はフランス)への絶望が隠されていた。要するに、以降のメグレ捕物帖はすべて、[外国]で書かれたのだ。
 なお、書誌的な研究については、「翻訳ミステリー大賞シンジケート」内、「シムノンを読む」(瀬名秀明)を参考にした。

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