メグレのごとく生きる者3
メグレは勤務するパリ警視庁の近所に住んでいる。勤務が終われば、自宅にもどって妻と食事するのが、いつもの習慣だ。ランチにもどることもしばしば。
メグレ夫人は、家政婦、助手、秘書、相談相手、母親役などの役割りを適宜、使いわけている。作品によっては、相棒に近い行動も選ぶ。『メグレを射った男』(一九三二)では、負傷したメグレの代わりに捜査活動を手伝う。それより重要なのは、ルイーズ(これが、夫人の名)が基本的に、ワトソン役を努めていることだ。変則的なワトソン役であり、読者との媒介役となる一面にかぎられる。語り手、記録者の役割りは持たない。『メグレの回想録』で、メグレの手記の下書きを読んで辛辣な感想をもらすところなどが、この記録者に近い。
十一時五分前だった。車の停まるようなような音が聞こえた。メグレは窓を開けた。歩道の緑の司法警察局の黒の小型車と、細長い人影が見えた。
夫人にキスをし、ぶつぶつ不平を言いながらドアのほうに向ったが、司法警察局の局長にならないことに満足していた。
「おれを待っていることはないよ。」
「心配しないで。眠ってしまうから。」
空気はあまり冷たくなかった。月が煙突の上にあがっていた。大部分の窓がまだ明るかった。なかには開いている窓もある。
(長島良三訳 河出書房新社 一九七八 63ページ)
省略された会話のやりとりに続く、屋外の描写。これが、客観的叙景であると同時に、主人公の内面を映す主観描写であるタッチは、いつものシムノン・スタイル。シリーズで何度となく繰り返されてきた。
ルイーズの役柄にしても、注意して読まないと、いつも一定であるふうにみえる。あまりに受動的、主人公の都合によって登退場するだけの人物要素にみえてしまうので、憤慨する読者もいるだろう。多くの作品で、そういった処理に流れていることは確かだが、それだけで終わらないケースも見つけられる。最もたる例が、短編「メグレ夫人の恋人」だ。
この作品に関しては次回にーー。
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