×

CONRAD’s ROMANCE

CONRAD’s ROMANCE

CONRAD’s ROMANCE コンラッドの『ロマンス』
 F・R・カール『ジョウゼフ・コンラッド―暗黒の形而上学をたずねて』(1960 野口啓祐・野口勝子訳 北星堂書店 1974)という本がある。


 コンラッドは「もうイイや」と想ってからも久しいけれど、ついつい手にとって漫然と読んでいるうちに、最後のページまでたどり着いていた。著者の姿勢は明解で、「コンラッドは二〇世紀文学トップランナーの一人である」というもの。これに充分説得されたとはいいかねるが、やはり基本は、『ノストローモ』などを読み返しつつ、著者のいわんとするところを吟味する作業を要するだろう。


 だから、いま書けるのは雑駁な感想にすぎない。
 著者によれば、コンラッドの最盛期・円熟期は1900年前後から1914年あたりまでの十数年にかぎられ、そこに『ナーシサス号の黒人』『闇の奥』『ロード・ジム』『ノストローモ』『西欧の眼の下に』『チャンス』『勝利』などの代表作がならぶ。これは、コンラッド評価の標準といってもよく、文庫本や各種の「文学選集」もそれらのなかから選択されている。そこから洩れる作品はなべて「駄作」だと著者は断定する。初期の作品はまだ技術的に拙劣であり、後期(晩年の十年)の作品は衰えを隠せない。この評価は作家論としてあまりに常識的すぎるが、その分、素朴に「説得力」はある。
 じつのところ(これがいいかげんな読み方そのものなんだが)『暗黒の形而上学』の魅力は、この「駄作」という断定の爽快さに秘められていたりする。およそ14回。
 コンラッドの初期作品も後期作品も、わたしは読んでいない。前者は入手が面倒だったり、後者は未訳であったりした。『暗黒の形而上学』によって不勉強を知らされたものの、駄作の「お墨つき」のおかげで、やはり苦労して読む必要もないか、とすっきり安心できたわけだ。


 
 さて、そこで『放浪者 あるいは海賊ペロル』(1923 山本薫訳 幻戯書房 2022.4)を見つけた。


 当然のことというか、訳者は、世を席巻する「コンラッド後期作品駄作説」にたいする長い駁論を巻末に記している。この訳書は、古典作品の再発掘をめざす「ルリユール叢書」の一冊(セリーヌの新発見作や、フランク・ノリスの『マクティーグ』、ジェイムズ・M・ケインの『ミルドレッド・ピアース』などをふくむ)。同じ訳者によるコンラッド後期作品ーー『黄金の矢』(1919)、『サスペンス』(未完 1925)も予告されている。


 さて『放浪者 あるいは海賊ペロル』であるが、歴史読物・冒険小説として読めば、駄作の汚名によって「抹殺」するには惜しまれる作品であることは明らかだ。F・R・カールによる分別処理的文学研究は尊重されるべきでも、「読まなくてもいい駄作」リストを鵜呑みするのはよくないだろう。
 (とはいえ、全編を伝統的な客観叙述に統一する手法をとらず、部分的ではあっても、新奇な叙述法を強引に試行錯誤するコンラッドのスタイルは、読者に過度の負担を強いるーーというこれまでの印象が晴れるにはいたらなかった。)


 じつのところ(これがいいかげんな読み方そのものなんだが)『暗黒の形而上学』の魅力は、ーーというフレーズをまた使うと。
 一番の魅力(読みどころ)は、コンラッドとフォード・マドックス・フォードとの小説共作の実態がわりと詳しく紹介されているところだった。最も興味深いのだが最もわかりにくい部分でもあった。創作法の分解・分析にかかわっていて、あまり眼にしない観点なのだが、彼らの共同作業が創作技法の根幹にふれているとは想えないのだ。これは、著者のコンラッド論(象徴的描写のダイナミックな駆使に方法の優位をみる)の根底にも通じるので、たんに、わたしが浅読みに終わっている所為かもしれない。
 機会があれば、もう少し検討する値打ちがある。
 F・M・フォードとの共作『ロマンス』は1902年に完成、翌年に刊行された。本は今日でも、ごく簡単に入手できる。F・R・カールの著書は《二人の共著が駄作であったことは疑いもない》(79p)と断定することによって、この共作への後代の探究心をきっぱり断ち切ってしまったが、はてさて。


 

You May Have Missed