追放作家たちの
先日、ロシアの「最有力ノーベル文学賞候補」と評判のミハイル・シーシキンの発言を読んだ。息苦しい。
スイス在住のシーシキンもまた、一種の国外追放作家という、ロシア文学の伝統につらなる一人だ。
プーシキンはロシア文学の黄金分割である。ロシア文学をまっしぐらに未来へ押しやると、自分自身はうしろに跳び退いて、むしろロシア文学が若返ろうとして帰っていく、永遠に花咲く過去の役割を果たすのである。
ーーこれは、アンドレイ・シニャーフスキイの『プーシキンとの散歩』(1975)の一節。
シニャーフスキイは、[反ソ作家]として訴追され、国外に追放された後、このプーシキン論を書いた。[国民詩人]を軽んじたとして物議をかもしたようだ。その詳細はまだ調べていない。読みはじめに違和感はあるが、次第に著者の真情は遠慮がちにあらわれてくる。プーシキン文学の一側面は、検閲体制との熾烈な攻防にあった。同じ[反ソ作家]の追放組のソルジェニーツィンから批難されたというが、この本に関しては当たっていない。
追放者の哀しみが、本質を捉えたのだ。
六〇年代の『ロシア・ソビエト文学全集』(平凡社 全三五巻)は何冊か、まだ保存している。
最近、A・トルストイなど数冊を購入した。
しばらくは、ロシア文学再読に時間をあてることにした。
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