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メグレ初期作品の終わり

メグレ初期作品の終わり

 第一期はここで終わり。
 ⑱『第1号水門』は、メグレ引退のカウントダウンと併行して、物語がすすんでいく趣向だ。第二期の始まりにかかる『メグレ激怒する』は、引退後のメグレを依頼人が訪れる場面を冒頭に置く。メグレ捕物帖スタイルのスタートである。というかーーこの二作の書かれた状況(⑱は一九三三年、『激怒する』は一九四五年執筆)に注目せざるをえない。ナチス支配の十二年、後半はフランスの占領が、ここにおさまる。ベルギー人のフランス語人気作家が選び得た途はそれほど自在だったとはいえないだろう。
 わたしのフランス探偵小説入門は、中央公論社の世界推理名作全集五巻(一九六〇)によってだった。『男の首』『サン・フォリアンの首吊り男』だ。十代の鑑賞力をもってしては、二作ともつまらなかったことは致し方ない。だが、つらつら想うに、そこからわたしのフレンチ・ミステリ嫌いは、ほとんど決定づけられてしまったようだ。むしろ[逆]入門か。おかげで(?)、ワインの味はまったくわからないし、コニャックやアルマニャックにも親しんだおぼえがない。カルヴァドスやマール・ブランデー(メグレが景気づけによく飲む)にいたっては、飲んだことすらない。
 今回、まとめて読み返してみて、初期メグレ十九作のうち論ずるに足りるのは、この二作をおいて他になし、という結論に落ち着いた。『死んだギャレ氏』『深夜の十字路』から論じてもいいのだけれど、展開していける見通しは弱かった。六十年ぶりに、薄いブルーの布装本をひらいて、メモをつけながら読み返すことになろうとは想像もしなかった。何という一周か。人生は長く、まことに不可解だ。シムノンについて、あまり多くのことは書きたくない。とはいえ、かなり助走が長引いていて、気分がしずむ。チェックする作品数が物理的に多すぎる、といった問題からだけではない。フレンチ嫌いの責任をこの巨匠一人に転嫁するかのような論述にはまることを避けていくと、短く済ませそうもない。メグレの不機嫌に感染する。
 『男の首』は、シムノン版の『ルルージュ事件』だ。ガボリオは、やはり偉かった。「モンパルナス版ドストエフスキー」といった旧来のシムノン読解から解き放ってやる必要があるのではないか。


⑯ 港の酒場で (1933) Au rendez-vous des terre-neuvas
 『港の酒場で』 木村庄三郎訳 創元推理文庫 1961
 『港の酒場で』  旺文社文庫 1977
 『ニュー・ファウンドランドで逢おう』 稲葉由紀訳 別冊宝石103 1960


⑰ サン・フィアクル殺人事件 (1933) L’Affaire Saint-Fiacre
 『サン・フィアクル殺人事件』 三輪秀彦訳 創元推理文庫 1960
 『サン・フィアクルの殺人』 中村真一郎訳 創元推理文庫 1960


⑱ 第1号水門 (1933) L’écluse No.1
 『第1号水門』 大久保輝臣訳 創元推理文庫 1963


⑲ メグレ再出馬 (1934) Maigret
 『メグレ再出馬』 野中雁訳 河出書房(メグレ警視シリーズ)1980
 『幕をとじてから』 松村喜雄訳 共栄社『探偵倶楽部』 1954

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