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シムノンの戦後

シムノンの戦後

 パリは広大で、静かで、しかも完璧だ。世界に誇るメトロポリス。『ブーベ氏の埋葬』(一九五〇)の冒頭にひろがるパリ風景は、時間の経過という因子を、きっぱりと拒絶している。シムノンは、ここで、素朴な[パリ讃歌]を描いているだけのようにも印象される。それだけのようにも……。
 完璧なパリ。何もかもがしかるべき位置におさまり、その完成度が頂点に達した瞬間、一人の老人が急死する。セーヌ河岸、古書を手にしたまま息絶え、それからゆっくりと倒れた。ブーベ氏と呼ばれる男。ーーこのパリが戦後まもない時期のパリであることは、しばらくページをすすめなければ明記されない。
 老人は身寄りのない男だった。住み着いたのは、一九三六年頃。占領期には、パリを離れていた。物語は、彼が埋葬されるまでのあいだ、次つぎと明らかになる彼の意外な過去を追うことに当てられる。
 彼は、じつは、フランス人ではなかった。植民地で巨万の富を築き、黒人女ばかり侍らせるハーレムの主だったこともある。……などなどの過去。過去を隠す男の[秘密]が暴かれていくことを動力とするストーリー展開は、シムノン特有のロマンだ。作者の語り口は、いつもながら淀みなく流れていく。ヴェールを剥がされていく[真実]という物語の動因は、いっけん探偵小説の定式と一致しているかのように読めるが、じつは別の次元に属している。シムノンだけの世界だ。彼は狡猾に、探偵小説の構造を利用するが、そのじつ、探偵小説とは似て非なる世界に着地していく。
 それとともに、シムノンは、主人公の過去から[歴史]を削りおとしていく。『ブーベ氏の埋葬』冒頭のパリ風景から戦後が脱けおちている(悠久の都市の一面が誇張されている)ことは、偶然ではない。作家は視たいものしか視なかった。アイデンティティを着衣のようにつけ替える人物とは、シムノンお好みのロマンだ。彼の行動が、戦間期から占領期をとおして持たざるをえなかった社会的な意味、そしてその道義的な検証といった側面は、作者の関心には入ってこない。いや、むしろ、排除を試みているようにすら想える。

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