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シムノンの短編

シムノンの短編

 前回、シムノン短編の不当な低評価について書いた。そのつづき。
 『チビ医者の犯罪診療簿』とほぼ同時期に、『名探偵エミールの冒険』Les Dossiers de l’agence O(一九四三)、全十四篇がある。これは、幸いにして四分冊の全訳が刊行されている。タイトルは、『O探偵事務所の事件簿』のほうがいい。
 私立探偵エミールと相棒トランスが舞いこむ難事件を解決していく連作。配下に、元スリで、尾行と荒事専門のバルべ、事務所番のベルト嬢。エミールは三十過ぎなのに、間抜けな学生にしか見えない赤毛そばかすの青年。表向きの所長はトランスになっている。二人の役割り交換という趣向は、ピエール・ヴェリーの『サンタクロース殺人事件』でも使われていた。これも、一種のフランス式か。
 メグレものの陰に較べて、こちらは、陽。
 トランスはメグレの右腕を十五年つとめた元刑事。その意味で、スピンオフ仕様なのだが、別の探偵キャラクターによる新機軸を狙った。第一話は、依頼人にエミールとトランスが[どちらが所長か]の入れ替えゲームをやってみせるところから始まる。依頼主の正体は女怪盗だった。このように、ルパン調の活劇スタイルが基本となる。
 けれども、ルパン短編に謎解き趣味が横溢していたのと同じく、冒頭に驚愕の謎を置いて、話を展開していく型も少なくない。
 ともすれば、犯罪心理への過剰なのめり込みという定型に縛られてしまうシムノン・スタイルを脱却し、探偵小説本来の謎解きゲームにもどってみたい、という作者の模索を感じ取ることは出来る。そしてその模索は、二つの短編集(メグレものの短編をふくめてもいい)に明瞭にきざまれている。時期的にみれば、これは、一九四〇年代前半、戦時下にあたっている。この意味をもう少し掘り下げてみなければならない。

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