メグレのごとく生きる者4
短編集『メグレ最新の事件簿』(一九三八、一九四四)は、邦訳では、『メグレ夫人の恋人』(一九七八)、『メグレの退職旅行』(一九八一)の分冊になっている。
前者の表題作「メグレ夫人の恋人」は、ルイーズが観察眼をはたらかせて探偵役をつとめる話だ。彼女は広場に毎日あらわれる男の挙動から事件を予感する。彼女は、広場の男を、窓から眼にしていたのだーー。この状況は、ホフマンの「従兄の隅窓」を原型としたものだ。(『NADS21』287-291ページ参照)
これは、都市の群集〈マルチチュード〉のなかから探偵小説が発生してくるメカニズムにかかわっている。原型はメカニズムを探り当てるにとどまった。
もう一つ、同様の原型からつくられたメグレ短編に「街中の男」がある。メグレが不審な男を尾行し、その孤立者としての自己〈ゼルプスト〉を解明するにいたる話だ。これは、ポオの「群集の人」を原型としている。
ホフマンの「従兄の隅窓」の主人公は、病床にあって群集を観察することによって自分自身をささえている。語り手の「私」がその従兄を特別のヒーローとして描きだす。その構図は、ポオが呈示した[私ーデュパン]の関係と同等のものだ。
「メグレ夫人の恋人」では、この構図が、メグレ夫妻の日常にあてはめて応用されている。メグレは夫人の観察をからかって、問題の男を「きみの恋人」と名づける。そうして、彼女の予感があたって、何かが起こるのかどうか、注目している。そのやりとりが、じつに軽妙に、情感豊かに描かれ、事件への展開も自然に流れていく。
ホフマンの短編にせよ、ポオの短編にせよ、テクストにあるものは、状況の設定のみであり、そこからストーリーは発展していかない。探偵小説の骨組みだけがあると評される所以だ。シムノンはその両作に、過不足なく事件を継ぎ足し、探偵小説の肉付けを実行してみせた。夫人を探偵役にあてはめ、メグレが引き立てのワトソン役にまわる。ーーシリーズの[定型]とは、まったく逆転させた。職場からもどってランチをとるという習慣、メグレを癒やす夫人との軽口といった定番の一齣を利用して話をつくるうまさは、シムノン一流のものだ。
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