ロマン・ギャリ『白い犬』
フラーの『ホワイト・ドッグ』の原作。
長く気になっていた。
何とも、映画化作品を上回る刺激の強い[問題作]ではないか。
サミュエル・フラー『ホワイト・ドッグ』
まず、黒人ばかり襲うように調教された「攻撃犬」とは、作者の自画像にほかならないこと。
他にもいろいろあるのだが、要は、屈折にみちた[一九六八年]論、その同時代レポートなのである。
あとは省略して。
ストーリー部分で映画と異なるのは、ホワイト・ドッグを調教し直す黒人調教師の[狂気]を徹底的に追いつめたこと。彼は、黒人専用の攻撃犬の習性を逆転させ、白人ばかり狙って攻撃する犬に変えてしまう(こんな調教が可能なのか?)。
これは、作者の[狂気]であり、六八年文化革命の[狂気]と共振している。ギャリの六八年論は、現象的なレポートに終始するわけではなく、ある部分において、あの時代の最深部まで届きかけている。知性をおしのける狂気があらわれる時、彼のイメージは、六八年革命の最良の部分と最悪の部分とを、ごちゃ混ぜにして(分別できないというのが肝腎なところだ)吐き出してくる。ーーそれの一つがホワイト・ドッグの凶暴な造型だった。
もう一つの[狂気]は、これは映画からは除外された、レッドという黒人過激派の主張にあらわれてくる。彼は、ヴェトナム戦争に積極的に賛成するばかりでなく、黒人青年の志願兵を称揚する。その目的は、黒人の実戦部隊を(戦争を利用して)育てあげ、来たるべき対白人戦争の中核に据えることにある。だが、彼は、戯画的な狂信者であるのみではなく、時に、圧倒的な正論の発信者となることも出来るーー。
彼の声の響きは鈍くなり、抑制され、奥ぶかい遺恨を求めて内にこもる。
「CIAは黒人指導者を失墜させ、カストロや、ナセルや、北京の方へ向かわざるを得ないようにもくろんでいるし、FBIは、クリーヴァーやカーマイケル同様にわれわれを追い散らし、無理やり亡命させようとしている……だが、とりわけ、やつらの望むところは、ブラック・パワー内部の勢力争いを助長して、われわれがたがいに仲間を排除するようけしかけながら、黒人の統一を防ぎ、最良分子を消すことにあるんだ……ところが、敵のこのもくろみは予想以上に順調に運び、成功している。われわれは罠にはまっている。[…]
「無理やりわれわれ内部の暴力を競りあげ、弾圧をエスカレートしていくつもりなんだ。そして時がたつにつれ、黒人の一般大衆が、疲労と、内部抗争と、恐怖のあまり、服従の方へ傾くように仕向けるつもりなんだ……」
(大友徳明訳 角川文庫 一九七五 280ページ)
アメリカの体制防衛政策には一貫性があった。人種政策に関しては特にそうだ。ーー黒人同士を内部的に敵対させること。これは、半世紀の後になっても、基本的に変わっていない。
ギャリは、このページに先立って、政治警察の手法について穿った見解を記している。「FBIの監視から免れている政治グループなど存在しない。取り締まりの最上の手段とは、FBIお手盛りの政治グループをでっち上げることだ」と。(221ページ)
ヴィドック、バルザックが告発した政治警察の暗躍。
その強力な実例が、アメリカの人種間抗争において見いだせる。これは、過去の出来事ではなく、まったく現在もつづく。
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