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H・D・トムソン『探偵作家論』1931

H・D・トムソン『探偵作家論』1931


 H・D・トムソン『探偵作家論』第四章「フランス探偵小説」より
 
 家庭の父は、子供たちが、本函の頂ぺんの棚からモーパツサンの黄表紙をとり出して、こそこそ持つて行くかはりに、ガストン・ルルーやモーリス・ルブランの小説に眼をさらすのを覗いてみて、心を安じることが出来る。イギリス探偵小説は、厳粛な道徳を描きもすれば説きもする。フランス探偵小説もまた大体において同様だ。だが、二つの国の社会観の相違から、若干の差異は無いでもない。
 ごく明らかな一例をとらう。初期のイギリス探偵小説では、ある男がもし情婦を有つてゐるなら、直ちに彼は犯人である。(といふのが誇張であるのなら、尠くとも慥かに容疑者ではある。)ところがフランス探偵小説では異ふ。このために問題には陰影が出来て、それだけ解決が難かしくなる。[…]
 もし国民的特質を考慮の中に入れるなら、フランス探偵小説は著しく合理的でなければならぬ筈だ。だが、事実は決してさうではない。フランスの探偵小説は、扇情的傾向が顕著で、ユウゲエヌ・スウ(Eugene Sue)の「パリの秘密」の途を逐うものが普通なのである。[…]第一に、フランス探偵小説は、洒落を一歩すゝめてゐる。だが、この一歩は、いかにそれが論理的なものであらうとも、イギリス人には決して喜ばれないのである。これは、即ち、二元性〈デュアリズム〉だ。大犯罪者と大探偵との合致である。[…]
 フランス探偵小説は、イギリスのそれよりは一つ歳が多い。しかし後者に比較すると、その生長ぶりは怖ろしくいぢけてゐた。実さいフランス探偵小説の全歴史を通じて、巨星はわづか四つしかない。エミール・ガボリオ、フオルチュネ・デュ・ボワゴベイ、ガストン・ルルー、モーリス・ルブランの四作家がそれだ。
 
廣播洲訳 春秋社 一九三七 99-101P

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