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秘密の『パリの秘密』Ⅱ

秘密の『パリの秘密』Ⅱ

管見のかぎり、ウージェーヌ・シュー『パリの秘密』の日本語訳は、次の六点。
 ①岡野碩訳『浮世の巷』前編 一八八八年 金港堂
 ②原抱一庵訳『巴黎の秘密』一九〇四年 冨山房
 ③泉清風訳『探偵活劇 巴里の秘密』一九一九年 春江堂
 ④武林無想庵訳『巴里の秘密』一九二九年 改造社世界大衆文学全集12
 ⑤関根秀雄訳『パリの秘密』一九五七年 東京創元社世界大ロマン全集15
 ⑥江口清訳『パリの秘密』一九七一年 集英社世界の名作別巻2


 
 全訳に近いのは、⑥一点のみ。シュヴァリエは、『パリの秘密』の発表当時の人気要素がそののま、作品風化の早さの要因となった、と書いている。「時代遅れ」という評は、残念ながら、準全訳が刊行された時点でほぼ定着していた。かの名作の全容は、待望久しく実現した、とは受け容れられなかったようだ。
 この他に、小倉孝誠『『パリの秘密』の社会史』(二〇〇四年 新曜社)がある。研究書であるが、作品あらすじと豊富な挿絵がついている。とくに挿絵は有り難い。読者からの作者シューへの手紙の一端も紹介されている。
 試みに、各翻訳の冒頭の部分を抜き書きして、比較の材料にしたい。シューの文体への評価は、マイナス点のものしか眼にしないが、あえていえば、翻訳文の加減でどうにかなる側面もいくらかあったような気がする。
 
①何れの君の統御にして、何れの年紀にやあるらん、頃は十一月の下旬、降り灌ぐ雨は、篠を束ぬるが如く、襲ひ来る寒は刃もて劈くに似たる、黒白も分ぬ闇の夜に、軀幹太と高く、身体大いに肉き、骨格あくまで逞しき一個の暴客は、新しき手拭いに顔を包み、己の時を過ぎしと覚ゆる、袷衣をば、高々に褰げ、低声に歌ふ鼻頭吟も、始めは遅く半ばに途絶え、終には全く音を止め、山崎町に入り来りぬ。
抑下谷山崎町と云へるに、路幅狭く折屈りて、日光を通さゞれば、暗黒世界と称へつべく、空気の流通悪しき故、汚臭巷閭と云ふも可ならん、斯る汚なき町なるが、夜に却て昼よりも賑にして東都の凶漢無頼徒は、此町の居酒店なる、三浦屋てふ家を以て、緑林会議の議場となしぬ、故に他所に得難き凶行者も、探偵吏此処に網を投ぜば、必獲物ありと聞こえり、
寂然として立たる街灯は、北風の襲撃を受け、其緩急の度に随ひ、或は明るく或は暗く、巷に溜れる雨水に光り映じて、太と凄く且寂やかなり、
家の壁は荒塗にして、雨の為めに泥色を彩る、馬琴翁をして之を看せしめば、名詮自性と云ふなるべし、汚き畳は已に破れて、僅かに一間の半を敷き、障子は有るも無きに斉しく、寒風の交通に便なるも、梯子は直立して昇降に便ならず、

②十時の鐘は、ぼんやりと影薄黒く遠く彳む憲兵屯所の高き時計台の上より今しも陰に響き渡れり。
寒き雨降りの十月末の夜なり。稀に一個二個足迅に行過ぐる通行人の半身は、風に煽らるゝ街灯の蒼白き火光の裡に現はるゝかとすれば消え、消ゆると思へば、倏ち復た程隔たれる次の街灯の下を閃き過ぐ。
此所はノートルダム寺院と上等裁判所の間に延び拡がる屈曲多く路幅隘く醜ろしくいやらしき巷にして、[…]

③ 午後十時の鐘が、茫然と影薄く遠く、憲兵屯所の高荘な時計台の上から、響き渡つた。
 寒い雨降りの十月の夜である。たまには、一人二人足早に行き過ぐる通行人の半身は、風に吹かるゝ街灯の蒼白い火の光の中に、現はるゝかと思へば、すぐ消え、すぐ消ゆるかと思へば、たちまちにしてまた程隔てた次の街の下を閃めいて行きすぎる。
 ノートルダム寺院と大審院との間の、延び拡がつて屈曲の多い路道。
 あまり立派な街ではない。
 
④ 西暦一千八百三十八年の十月下旬、冷やかに降りしきる雨の夜を、鍔広の古麦藁帽をかぶり、青ズボンの上にヒラヒラする同じ色のきたない労働服を着た逞しい男が一人、両換橋をわたつて島の内へもぐり込んだ。裁判所からノートルダム寺まで、人知れず曲折した狭い横町々々が迷宮のやうに広がつたその島の内だ。
 厳重なその筋の取締にも拘らず、この一郭は「ざつくばらん」へ寄りつどふ巴里の悪漢どもの或はかくれ家になつたり。或は会合所になつたりしてゐる。「ざつくばらん」とは、泥坊や人殺し仲間の合言葉で、一番階下の居酒屋といふ意味だ。で、巴里中の人間の屑が出没するそれ等の居酒屋は往々前科者が経営してゐる。
 その夜は横町々々を風がこつぴどく吹いてゆすらるゝ街灯のチロチロする蒼白い光が、泥まぶれの敷石を流るゝ黒ずんだ水中に反射してゐた。
 枠の腐つた窓々がまばらに穿たれた泥色の家並の、その尾頂がお互ひに鉢合せしさうなほど、それほど往来は狭かつた。と、黒い臭い小路々々はもつと黒いもつと臭いそれぞれの石段へと通じてゐたが、じめじめした壁へ金具でとめた一本の縄へつかまつて、やつと人が登れるくらゐその勾配が急だつた。

⑤ 一八三八年十二月十三日の夜、おりから降りはじめた冷たい雨の中を、ひとりのがっちりとした体格の、よごれた菜っ葉服に形のひしゃげたフェルト帽をあみだにかぶった男が、両換橋を渡って裁判所前からノオトル・ダムに抜ける暗い入りくんだ裏道にはいって行った。
 風がこっぴどく吹いて、息づくようなガス灯の青白い光が溝の中の黒ずんだ水にうつっていた。
 
⑥ 一八三八年十二月十三日、雨のしとしとと降る肌寒い晩のこと、作業着を着こんだ一人のがっちりしたからだつきの男が、シャンジュ橋を渡って、セーヌ川の中の島シテに入り、裁判所からノートル・ダム寺院へとつづく暗くて狭い迷路を歩いて行った。
 裁判所の付近は制限区域であり、よく警備されていたものの、ここはパリの不良どものたむろするところであり、密会場所でもあった。彼らを投獄したり、徒刑場や断頭台に送りこむこの恐るべき裁判所の周辺に、これらの犯罪人が、なにか抵抗しがたい魅力によって常にひきつけられるというのはふしぎなことで、これも運命のいたずらともいうべきか!
 
 さて、単純にいって、どれが読書欲をよく刺激するだろうか。
 ④の夢想庵訳に関しては、八月二四日の記事に書いた。①の抄訳(というか、翻案)も、人物地名を日本国に置き換えている。ただし、初紹介者としての岡野碩については、柳田泉『明治初期翻訳文学の研究』で、高い評価が与えられている。作品思想の全体をよく読みこなした上での、翻案だった。前編のみで完結しなかったことが惜しまれる。
 
 書くべき事柄は、この先にあるのだが……。
 ①の引用、データ化にかなり手古摺ったので、次回にまわす。


 

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