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ミシュレの『フランス革命史』つづき

ミシュレの『フランス革命史』つづき

 8月3日の記事つづき。
 722ページ下段で、ユゴーの『九十三年』(一八七三)について、一行だけ記してある。これは「ああ、書いておけば良かった」には、当てはまらない。単独の言及。
 フランス革命史のなかの人物で、最も惹かれるのは、ロベスピエールでもダントンでもマラーでもなく、サン=ジュストとバブーフだ。《死の大天使》サン=ジュスト
 
 『フランス革命史』(一八五三)から、いくつか抜き書きする。
 《革命が永続しうるための第一の条件は、全世界の革命となることだ。第二の条件は、革命が深遠であること。》313P
 
 《革命は生き物だ。生き、動き、戦い、前進しなければならぬ。前には多くの危険がある。しかしうしろにも深淵が口をあけている。危険を前にして後退するのは、危険以上だ。破滅、確実な瓦解、奈落の上に腰をすえることだ。》301P
 
 《革命のいちばん先まで進んだサン=ジュスト……》
 《無秩序そのもののエベール派は、革命の最悪の分子も最良の分子も含んでいる。》398P
 
 《偉大な時代! 最悪の者すら信念を持っていた時代!》411P
 
 《最高存在とは、大革命とキリスト教とのあいだにある政治的中立性である。「正義」と「恩寵」とのあいだの政治的中立性である。そのような神は不毛そのものである。ひからびた無である。》429P
(引用は『世界の名著48』中公バックス版 一九七九 桑原武夫・多田道太郎・樋口謹一訳)

 
 革命は、革命の実行者に「神の代行」を要求する。実行者とは、その意味で、神の下僕だ。「代行」の重圧に耐ええない者は、途上で離脱していく。永続革命の果てまで疾走した者として、サン=ジュストの名があげられる。
 ミシュレは、ダントン処刑直前のロベスピエールの苦悩について、多くの叙述をさいている。政治的な敗北は、一歩後退ではなく断頭台に直結する状況に、すでに突入していた。ユゴーは『九十三年』のなかに、ダントン、ロベスピエール、マラー(一時的にせよ革命独裁の権勢をふるった三巨頭)の架空討論場面を描きいれた。ミシュレにせよ、ユゴーにせよ、ロマン派の香気は色濃い。現代のわれわれとは、超えがたい距離がある。ミシュレの『フランス革命史』は、ロベスピエールの処刑によってそのページを閉じた。事実過程は記録されているが、記録者としてのミシュレは、その死(革命への殉教)が選ばれた者の自己処罰だったという観点を、ひそかに伝達してくる。彼の筆勢は、よくいわれるように、史書である謹厳さよりも、歴史小説の感興にあふれている。
 だが、われわれは、そのロマン派ふうの興奮とは別個に、革命家の絶対的「自己否定」というテーゼを抽出してこねばならない。それは、レーニン・トロツキーのロシア革命から一〇〇年後の世界にいるわれわれにとって、いっそう激しく希求されてやまない「観念」だ。
 (これは、722ページ下段への注釈でもあるか)
 
 ミシュレは、同書の結論の最終行に、「この歴史には一人の英雄しかおらぬ。その名は人民なり」とおごそかに書き刻んでいる。彼の歴史小説にあって、唯一そのまま受容できない根幹だ。ミシュレの人民観? それが、ユゴーのものと同様、ロマンの塊であることは、多くの研究にある。その点をなぞってみてもつまらない。
 確認しておくべきことは、次の一点だ。
 ミシュレの史書に在るただ一人の英雄ーーそれは、フランスだ。「偉大なる時代!」と書いて、自ら感極まり、読者にも感極まることをうながす文体。そこにあるのは「偉大なるフランス」という観念(いや、信仰)だ。これはミシュレの(独りミシュレのみでなく、一九世紀フランス作家全部の、といったほうがいい)著作すべての前提であり、したがって結論でもあった。
 二〇世紀のフランス作家たちの主張と比較してみれば(そうした比較欲求は避けがたいだろう)、そのあまりの懸崖に呆然となる。アナトール・フランスの『神々は渇く』(一九一二)は、恐怖政治期の革命裁判所をあつかっているが、ミシュレを引き合いに出すまでもなく、その作家的姿勢の退行と衰弱は著しい。
 
 ところで、ジョゼ・ジョヴァンニのある作品に、サン=ジュストが引用されている箇所を眼にした。ーー《幸福とは、ヨーロッパの新しい観念のひとつである》というのだ。


 
 

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