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『女殺油地獄』は江戸探偵小説なのか

『女殺油地獄』は江戸探偵小説なのか

 バルザックにおけるマルチチュードの発現については、また後日。
 近松門左衛門『女殺油地獄』(一七二一)は、近松六十九歳の作。町人の放蕩息子(次男)が、進退きわまって強盗殺人に到るという世話物。形式は、人形浄瑠璃の台本であるが、市井の殺人事件の「記録」といった意味で、江戸期探偵小説の試行の一つとして読むことも出来る。
 ハイライトは人殺しの酸鼻なスペクタクル。如法暗夜の真っ暗闇、吹きこむ冥途の夜風、真っ赤な血潮と床に流れる油が綯い交ぜになって……。これが見せ場。後は付録といってもいい。
 とはいえ、いちおう事件解決編は、最終場面の急ぎ足だが、理詰めに整えられている。事件そのものは、いわばクライマックスに起こるので、事件の吟味とか探索方による現場検証とかいった要素は出てこない。犯人は、何日かにわたって疑惑をまぬがれ、逃げおおせている。
 最後に、証拠をつきつけられた犯人は、それを一笑にふす。次に、町奉行所の官吏が登場し、さらに強力な証拠を示す。そこで犯人が自白に追いこまれる、という手順だ。法の側の役人が関わり、二段階にわたって物証を突きつけ、合理をもって解決する話として成立している。いかにも疑わしい人物を見込みで追及する、という話の方向ではない。
 ここに、探偵小説の萌芽的な要素を見つけることは困難ではない。探偵は、未だ登場してこない。事件があり、犯人と被害者が描かれる、それだけだ。けれども、加害者を犯人として、登場人物のなかで特別の役割りを担う人物として「特権化」するための小説的ツール(物証を突きつける)を、作者は呈示してみせた。この試みは重要だ。
 
 なお、井原西鶴『本朝桜陰比事』(一六八九)、『大岡政談』などとの関連性については、リサーチ中につき、まだ論述の段階ではない。
 

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