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ポオは第一・五章

ポオは第一・五章

前回のつづき
 ルイ・シュヴァリエ『労働階級と危険な階級―19世紀前半のパリ』から。
 
 われわれが研究しなければならないことは、[…]現実が記述に対していかなる拘束を与えたかを知ることである。意図し、意識しておこなった記述ではなく、影響を受けておこなわれた記述が問題になる。ユゴーが書こうと望んだ作品ではなく、書かざるをえなくなった作品、彼が観察した状況ではなく、ある意味で彼が記録してしまった状況、多くの華々しい文章として彼がわれわれに書き送ってくれた、組み立てられ、完成している文章ではなく、瑣末な箇所、訂正、削除など、いわば歴史学によって明らかにされている、だが同時代の人々が常に明瞭に意識しているとはいえなかった、当時の状況の痕跡が問題なのである。
喜安朗・木下賢一・相良匡俊訳。みすず書房 一九九三年一月 88ページ

 といったようなことは、言葉を少しずつ違えつつ、何回となく繰り返されてくる。歴史家にとって重要なのは、作家が意図して構築した作品世界の完成体にあるのではなく、作家が意図せずに洩らした断片にふくまれる「痕跡」なのである、と。
 シュヴァリエは、この対位法的な強調を『レ・ミゼラブル』に関しては六回(90、93、96、112、118、120ページ)、『パリの秘密』については、仕上げのように一回(386ページ)だけ記述している。これだけ念入りに説明されれば、読み落とすことはない。とはいえ、この「痕跡」というキーワードは、何なのか。別の説明では、「集合的強制」といった用語も動員される。時代・社会・大衆の変遷が作品に投影されてくるーーというのだ。「受け身の作品」とは、この「強制」をより強くこうむったテクストの肯定的側面をさす。
 こうしてシュヴァリエは、『レ・ミゼラブル』というタイトルがむしろ、「外的な強制力」によって、作家のなかでだんだんと屹立していったことを証明する。この実証の手際は、じつに圧巻なのだが、ここでは詳細は追いかけずに済ます。
 われわれとしては、シュヴァリエの論証が向かっていた標的を同定できれば充分としよう。ーーそれは、マルチチュードだ。労働者階級と危険な階級。シュヴァリエにあって、両者は不可分の定義だが、時には対立する項目である。ただ、その動態の解明は、やや曖昧さをまぬがれていないし、そのうえ、ますます歴史的記念物のような印象に色褪せていっている。彼の論考の多くのページに、マルチチュードの言葉を埋めこんでみれば、その生命はふたたび輝きを増すのではないか、と思える。
 危険な階級とは、群衆〈マルチチュード〉の一側面であり、犯罪はマルチチュードのなかから発生してくる。ーーシュヴァリエの研究は、そのように概括できる。
 ユゴーの描く犯罪者について、シュヴァリエは、作家が個別の人物を描きわけようとすればするほど、その記述は迫真性から見放されると、正しく指摘している。かえって犯罪の場処の放つ恐怖に読者を臨場させようとする時、ユゴーの描写は精彩に輝いてくる、と。
 これは、ユゴーとバルザックの本質的な差異として、シュヴァリエが呈示する本質だ。ロマン派古典作家ユゴーと「現代」作家バルザック(二人は同時代人であり、長命のユゴーのほうが長く作品活動を残しているが)との絶対的な懸崖だ。より無方法にしたがって創造したバルザックのテクストのなかに、マルチチュードの痕跡が、われわれにもごく視えやすい表徴として埋蔵されていることは、当然の結果といえるだろう。
 
 ここで、個人的感情としは、「ああ書いておけば良かった」の大型ヴァージョンに移行してしまう。
 『NADS21』は、ポオ小説とマルチチュード論によって、第一幕の論考をはじめていった。71ページあたりからである。
 これ以外の第一章はなかった。と、断言できるが、じつのところ、これでは、真の第一章には、ならない。理論的にいえば、第一・五章といった位置が適切だ。では、「真の第一章」には、何が当てられるべきなのか。ーーバルザックだ。バルザック小説とマルチチュード論が、最初にくるべきだった。
 群衆〈マルチチュード〉のなかから犯罪が、探偵小説が必然的に発生してくる。その一九世紀社会の怖ろしいメカニズムを「最初に」作品に切り取ってみせたのは、バルザックだった。後先の問題ではない。ポオとバルザックが置かれた同時代性を考えねばならない。原理的には、バルザックが先行していて、これは不動だ。ポオが卓越したのは、原理の抽出の見事さだ。社会性を削り落とす方法の厳格さだ。
 ーーといったことを、なぜ『NADS21』が展開できなかったのか。読者は不審を持たれるかもしれない。答えは、端的に、書けなかったからだ。もしバルザック探偵小説論を第一章に設定して書きはじめていたら、とても後のページまで書きすすめることは不可能だったろう。
 
 この項も長くなるので、また明日。
 

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