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秘密の『巴里の秘密』

秘密の『巴里の秘密』

 ウージェーヌ・シューの『巴里の秘密』は、文学史上では名高いが、すでに歴史記念物となって久しい作品。デュマ、ユゴー、バルザックに深甚な「影響」を与えたーーというのが、定説だ。
 現物にあたっておくのは、必要にして最低限のリサーチ作業だと心得て……。ところが、翻訳の選定を間違ってしまった。
 武林無想庵訳、改造社版世界大衆文学全集一九二九年五月。一〇分の一ほどの抄訳であることは承知していた。縮刷版の原文テクストを元にしたものだろう。
 わが国にだって、『南総里見八犬伝』のごとく高名だが、とにかくあまりにも延々と長大なので一割縮刷版(それも現代語訳)で済ませておいても大丈夫な古典作品はある。だから……と、思ったのであるが。
 これはダメだった。
 人名・地名、すべて漢字の日本語名(総ルビつき)に「翻案」してある。三芹瀬(さんぜりせ)、勢野川(せえぬがは)のたぐい。振り仮名から原語の見当がつけば、何とかついていけるが、わからないものが多い。主人公ロドルフ、またの名をゲロルスタイン公は、緑郎、如露石大公爵……。これでは登場してきても、イメージが湧いてこない。
 そして、国際犯罪都市パリの闇に暗躍する、さまざまの国籍と多様な言語ーー。これがおかしな名前の「日本人たち」によって駆使される。この珍奇の奥底に原作の危険な躍動を読み取るのは、ほぼ不可能に近かった。「校長」「木菟」「匕首」などと、符牒で呼ばれる悪漢たちがいるので、そこはストレートに感受できるのだが。そのくせ、植民地出身の有色人種には、「黒人〈くろんぼ〉」と注記してある。この漢字化世界にはお手上げだった。
 都市のMULTITUDEを大衆新聞小説の世界に現前させた、といわれるこの作品の細部の迫力のおおかたが、漢字化によって損なわれている。眼光紙背を貫くといった超能力が、こちらに備わっているわけでもなし。何か国籍不明の翻案小説の悪路を無意味に彷徨わされているような疎外感に苦しみながら、五〇〇ページを、ともかく通読。
 後半になるほど、縮約が大胆すぎる所為なのか、ストーリーがぶつ切りになって、つながりを見つけにくくなる。これは、原作そのものが、人気沸騰に応えて、大団円を先へ先へと遅らせるために、いくつものサイドストーリーの増設に腐心した結果でもあり、気にせず読み流してしまえば済む。
 だが、漢字化に関しては、救いようがない。昭和四年の翻訳で、まだこんな「日本語化」が実行されていたのか。その意味で、この本には骨董的な価値が生じているのかもしれない。
 どうでもいいけれと。
 べつの翻訳を探して読まなければならない。気が重くなる。
 
 

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