×

ヴィドック何者?

ヴィドック何者?

 08.04記事のつづき。
 ヴィドックは、犯罪者から警察の要人に転身した人物として、名を残している。しかし、その実像(というより、歴史的位置づけ)は、充分に解明されているとはいえない。犯罪者が「改心」を遂げ、警吏として辣腕をふるう、といった事例の意味が、充分には考察されてこなかった。
 彼の自伝は、二種、翻訳されている。『怪盗ヴィドック自伝』が一九六三年。これは五分の一ほどの抄訳。「世界ノンフィクション全集」というシリーズの一冊で、アメリカの顔役アル・カポネや日本の女衒村岡伊平治の記録と合巻。ヴィドックの伝説に「怪盗」を冠するのは間違いだが、そのイメージが適合することも確かだった。


 完訳版が出たのは一九八八年。訳者は、アンコールワット遺跡の著書もある三宅一郎。そのあとがきは、いかにヴィドックの像は歪められて流布してきたかの例示から始まり、けっこう面白い。
 ヴィドックの伝説的人物像は、二点に要約できる。
 ①犯罪者から「探偵」への飛躍。
 ②バルザック作品で最も光輝ある人物ヴォートランのモデル。
 これは基本的な理解なのだが、すでにここから、ヴィドックへの誤解(表層的な半解)は根を張っている。
 フランス探偵小説論は、まずこの認識不足を埋めることから始めなければならない。
 完訳された『ヴィドック回想録』は、771ページの大冊だが、かなり散漫で冗長たるをまぬがれていない読み物だ。忍耐をもって読みとおさねばならないにしても、後世への影響力という点では、その重要性は色褪せない。これは、一九世紀前半の時点に出現した[原探偵小説]、犯罪小説の高峰だ。素材が無雑作に投げ出されすぎている傾向は否めないにしろ、その濃密なリアリティは、犯罪事象の記録として突出している。
 ーー試みに、二つ例示してみよう。①密告者として司法の側についたヴィドックは、かつての犯罪者仲間から疑惑をつきつけられる。「おまえがイヌなのか」と。彼は窮地におちいるが、その窮地そのものを利用して、相手の疑いを打ち消してみせる。「おれがイヌなのかって? おれもその噂は聞いたことがある。その噂はおれ自身がふりまいたものだからさ」。このエピソードに仕込まれた情念は、今日の潜入捜査官を描くサスペンスの迫真性と同質のものだ。『回想録』にあつかわれる犯罪事象の多くは時代風俗性をまとっている。歴史記録ののどかさに収まっている。しかし、相手の疑惑の強さを逆用して、自らのパワーを強化するヴィドックの手法には、普遍的な伝播力がある。
 ②べつのエピソードは、もっとささやかだーー。無聊をかこっていた折り、上流婦人が訪ねてきて、高名な探偵に行方不明になったペット犬の捜査を懇願する。作者は、そこにいささか悪趣味なオチをつけて別種目の才気をひけらかそうとしているので、効果がそがれているのだが、ここには、私立探偵ものの情感の先行的な閃きが認められる。ーー都会では何でも起こる。
 『回想録』によって、ヴィドックは探偵小説の先駆者たる位置を持ったーー。それが強弁に映るなら、以下のように言い替えることも出来る。ーー『回想録』は、探偵小説の原型を強固な具体性をもって示した。凡百の犯罪読み物のなかからこの書を際立たせるものは、彼の[犯罪者=探偵]としての傑出した能力だ。事件に優越する個性、それこそが大衆ヒーローに要求される高度な勲章だった。
 彼は仲間を密告することによって密偵としての実績を積んだ。それは、一般の尺度では、裏切りと呼ばれる。「人間」として最低の行為だーーと。だが『回想録』を注意深く読んでいくなら、その認識が、一面的な了解にすぎないことが読み解けてくるだろう。
 ヴィドックは[犯罪者←→探偵]という二重存在を、自らのうちに生きた。どちらもが彼の本質の一側面だった。切り離し不可能だ。彼が証言する犯罪共同体は、珍奇なものではなく、自然態のものだ。捕まらないためには、警察の出方を先読みする(想像力において警察の立場で考える)ことが必要だ。そして犯罪者たちが相互依存する様態も常に流動的だ。互助組合ではない。裏切り密告もそのもたれ合い体制の極端な発現にすぎない。仲間を売ることが、自分の唯一の逃げ道となったなら、躊躇なく裏切るーーでなければ、己れの破滅しかない。
 彼が生きた時代は、フランス革命後、数十年つづいた激動のヨーロッパだった。王の処刑、ナポレオンの台頭、短い期間の軍事帝国制覇、王政復活、帝政クーデター……。その激動期において、ヴィドックは、革命後近代国家の近代警察組織の確立のために、大きな貢献を果たした。
 それと同時に、看過されてはならない事柄だが、彼の『回想録』は、近代小説とりわけ近代探偵小説の確定・整備のために、大きな基石をつくった。ポオがその探偵小説において、ヴィドックの名に言及したことは、よく識られている。探偵術という側面において、彼の名を批判的にあつかうことが、ポオの探偵にとっては、最高の敬意の表し方だった。ポオは、空想都市パリに遊民探偵デュパンの特権的世界を抽出することに成功した。ヒント、素材はヴィドックの書物にばら撒かれていた。
 『回想録』が世に出たのは一八二八年。二種あるどちらもが「ニセ物」だったというが、それはそれでいかにもヴィドック伝説にふさわしい。
 探偵という近代小説のヒーロー。その像において、ヴィドックは遊民探偵の前段階の位置にある。彼自身は、「危険な階級」に属していた。二重性を解くキーワードの一つが「危険な階級」だ。その点は、ルイ・シュヴァリエ『労働階級と危険な階級』(一九五八)が参考となるだろう。
 ヴィドックへの考察は、探偵小説の発生史をより広範な視野のもとに解釈しなおす作業につながっていく。『回想録』には、政治秘密警察(つまり、今日の公安警察)を激しく批判する数ページがある。バルザックは明らかに、この部分に共鳴してヴォートランの人物像を創造した。これは想像になるが、『回想録』のニセ書がまず出回ったことは、ヴィドックの政治警察弾劾を牽制するための「圧力」だったような気もする。
 

コメントを送信