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『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』

『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』

『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』ラウル・ヒルバーグ
初版英語版は、1961年。ドイツ語改定版1982年。85年、90年、97年に加筆・改定。
翻訳(柏書房 1997年)は、最新版による。

1 アウシュヴィッツで使用された害虫駆除製品チクロンについての記述から、抜き書き・引用する。
ナチスの宣伝において、ユダヤ人はしばしば「害虫」に喩えられた。チクロンの導入によって、害虫駆除は「比喩」の領域からリアルな殺戮へと拡大していったのだ。
チクロンは容器の中で変質してしまうので、三ヶ月以内に使いきらねばならなかった。保存がきかない。
大量に使用し、大量に「駆除」処分するサイクルを継続するために、ナチスはチクロン備蓄の能率的で安定したシステムを整備する必要があった。

ヒルバークは、そのシステムを構成する組織を三つの分野から説明する。
①株所有権。ドイツ害虫駆除会社(デゲシュ)の株はI・G・ファルベンなど三つの企業に所有されていた。
デゲシュの下位には、二つの販売会社があった。
投資と利潤の回収は、これらの組織に属していた。
②生産・販売組織。
③配給機構。
戦時の供給であるので、国防軍衛生本部と武装親衛隊中央衛生部があたった。

一九四四年三月、デッサウ製造所のチクロン工場が爆撃された。
七五万人のユダヤ人を「絶滅工場」に移送することを計画していた親衛隊にとって大きな誤算となる。

一九四四年四月五日、ムルゴフスキ(武装親衛隊衛生部長)はデゲシュに書簡を書き、においのないチクロンBを五トンただちに送るよう要求した。それはすでに国防軍衛生本部によって確認され、武装親衛隊にとっても「緊急に必要」なものであった。一週間後、衛生本部のエヴァース博士自身が二八〇〇キログラムを発注し、アウシュヴィッツに送らせた。こうしたなかでテスタ(北東域の販売会社)は、だれに請求書を送るべきか急いで問い合わせた。またデゲシュ側は、においのないチクロンの生産が自社の独占的地位を危うくするのを心配した。

『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』ラウル・ヒルバーグ
下巻170p 望田幸男他訳 柏書房 1997.11

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