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セルジュ覚書1

セルジュ覚書1

わたしはフランス語を解するものは誰もいない町で、自分の息子以外にこの言葉を使って話すこともできない状態にありながら、フランス語で書いていたのだ。…自分のつくり出すすべてのものが、翌日には差し押さえられ、没収され破り捨てられるのではないかと自問しながら、休むことなく働き続ける……。

 わたしは、自分の本のために適切な一つの形式を採用した。それらは、個々に仕上げられ、直ちに外国に送られやすいように、ばらばらの断章によって構成される必要があった。…個人的存在は――まずわたし自身を始めとして――、わたしには、わたしたち個人が多少の意識を与えられたその小部分にしか過ぎぬあの集合的生命の、いわば函数的存在としてしか興味が持てなかった。だから、クラシックな小説形式は、わたしには貧しく古ぼけたものと見えた。……誰かにわたしが影響を受けたとすれば、それはドス・パソスだった。もっとも、わたしは彼の文学的印象主義は好まなかった。わたしは、小説における新しい途を探求しているのだと確かに信じていた。ロシア人作家の中では、ボリス・ピリニャークが同じようにこの途を追求していた。

二点、引用。
『母なるロシアを追われて』V・セルジュ 浜田泰三訳 より

セルジュがここで言及している作品のうち、いくつかは公刊されたが、いくつかはソ連国家の外に「脱出する」ことに失敗し、闇に消された。
セルジュが採用した、中心人物を持たず函数的存在のみから成り立つ物語世界。
それは、たしかに20世紀小説の本質をなす観念だった。
セルジュが好まないとしたのは、『マンハッタン・トランスファー』のドス・パソスであって、『U・S・A』のドス・パソスではあるまい。

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