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ヴィクトル・セルジュの彼方に

ヴィクトル・セルジュの彼方に

 インスクリプトのホームページで、写真家港千尋さんの連載エッセイ『旅人たちの表紙』がはじまっている。カバー(の)ストーリー。書物には、その内容(著者によって書かれたこと)とは独立して、独自の物語が秘められている。その意味で、アンカバー・ストーリーの一面も備えた、味わい深い読み物が展開されている。
 一人の写真家・映像人類学者の個人史が語られるのみでなく、一個の出版社の二十年を超える[私史]もまた、そこに流れこんでくるだろう。

旅人たちの表紙

https://inscript.co.jp/contents/cover-stories-20200824
 その第一回は、わたしの『NADS21』のカバー写真のこと。被写体は、トルコ、プリンキポ、トロツキーの亡命地の[遺跡]である。われわれは、「武力なき預言者」が『ロシア革命史』を執筆した場処として、その名を記憶しているだろう。
 第二回が、ヴィクトル・セルジュに当てられている。セルジュ論の50ページは『NADS21』の真ん中へんに位置し、『NADS21』の真髄を成している。このパーツの下書きを書き終えたとき「我が事、終えたり」と想ったわけではないが、いくらかの安息につつまれたことは確かだった。じっさいは、折り返し点にもまだ達していなかったのだが……。
 港氏のエッセイ第二回は、マルセイユ発の亡命客船の挿話から始まる。わたしが言及できなかったトピックもふくまれ、示唆的だった。ブルトンのような目立ちたがり屋の政治文化人とは、根本的に異なる、疲れ果てた政治亡命者の一瞬のスナップ・ショットが適確に捉えられていた。
 
 本ページの「ヴィクトル・セルジュ」のカテゴリにある記事に集めた画像(セルジュのポートレート、著書など)は、『仮借なき時代』を読んだ二〇一四年に、インターネットで探したものだ。セルジュの名を冠したフェイスブックもいくつか見かけ、リンクを張った記憶もある。このサイトを開設したさいに、ページをつくり直した。

 いま用意している『FFDS』のリサーチに関連しては、ルイ・シュヴァリエ『歓楽と犯罪のモンマルトル』に、熱気ある叙述を見つけた(単行本の486Pあたり)。ボノ団との関わりから逮捕されたセルジュは、仲間の名を売ることを拒否して、報復的に五年の実刑に処され、出所して、最初の本『牢獄の人びと』を書いた。シュヴァリエは、自分の史観に引きつけて、犯罪都市パリの一角に[故郷]の安らぎを見いだす危険なマルチチュードの典型像としてセルジュを当てはめようとする。ーーこれを、フランス人のフランス第一[お国自慢](三文文士や安物ミステリ作家からレイシスト政治家やポスト構造主義者まで一列にならんでいる)の変種と片づけてしまうのは、公平ではない。
 セルジュは、われわれが正当に継承していないという意味での、未踏の作家だ。二〇世紀文学は、彼を回収しなかった。出来なかった。その結果のみではないにしても、それ故、セルジュは常に二一世紀のわれわれと共にあり、常に現在であることを求めている。
 

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