ああ書いておけば良かった01
二度ベルのお粗末。ああ書いておけば良かった01
425ページの上段3行目からの一節。
この一節を何度となく読むうちに、わたしは、『ボルヘスの北アメリカ文学講義』で引用されているエミリ・ディキンソンの一行――《私の人生は閉じる前に二度閉じた》(柴田元幸訳)ーーを想起せずにはおれなかった。そのように、陋劣な贅言を書き加えるわたしは、確かに、引喩の[悪癖]に感染してしまったのかもしれない。
これは、前段の
そして近親に死者が二人出た話のついでに『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を引き合いに出さずにはいられない。こうした人物の語り口には、引喩につぐ引喩の勢いが止まらない作者自身の[悪癖]がのり移ってしまっていることは間違いない。
を受けていることは確かなのだが、肝腎のところを説明しないですっ飛ばしてしまった。まさに「悪癖に感染して」だな。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』のタイトルは、何の譬えなのか、回答を書いておくつもりが、脱落させたままになった。
別のところに書いていたーー。
この有名なタイトルの真意については、いろいろの説がある。
わたしが納得したのは、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの解釈。
「死神は二度やってくる」という意味だ。
ボルヘスは、その論拠として、エミリー・デッキンソンの詩をあげている。
「My life closed twice before its close_」
なるほど。
ボルヘスは鋭い。
2014.09.14 テイ・ガーネット『郵便配達は二度ベルを鳴らす』1946
ここで書いたことを『21』の本文にも書き入れたのだ、と思いこんでいたようだ。
記憶をしっかりと呼びさますには、二度ベルを鳴らす必要があるーーというお粗末。
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