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Enzo Traverso (1957-)

Enzo Traverso (1957-)

更新日記2025.12.13
 前回につづき、残念にも、リサーチ洩れとなっていた一冊。
『アウシュヴィッツと知識人: 歴史の断絶を考える』 宇京頼三訳 岩波書店 2002.1

 『マルクス主義者とユダヤ問題: ある論争の歴史(1843-1943年)』(宇京頼三訳 人文書院 2000.6)を読んでから、この著者エンツォ・トラヴェルソの数冊にあたることにした。
 いちばん読みやすいのは『全体主義』 (平凡社新書)だったが、著者の力量を発揮してはいるものの、これは、よくある教養書のひとつだ。
 『ユダヤ人とドイツ 「ユダヤ・ドイツの共生」からアウシュヴィッツの記憶まで』(宇京頼三訳 法政大学出版局 1996)は、一読し、参考文献としてコピーもとっていたことを思い出す。

 この『アウシュヴィッツと知識人』も、有益であり、大いに利用することが出来たと想えるのだが、それと同時に、どうも物足りない感覚がつきまとうことが気になった。


 まずは長所について述べておこう。前半の、マックス・ウェーバーからカフカ、ベンヤミンへの影響を跡づけるところ。見事に蒙を啓かれた。途中は跳ばして、後半の、ドワイト・マクドナルドの転変については、多くを教えられた。というより、端的に、こちらが無知だったのだ。98年版『北米探偵小説論』の、アメリカ・マルクス主義者に関する考察は、不充分なものだった。それはともあれ、D・マクドナルドと対比して論じられるサルトル批判もしごく正当なものだ。
 
 ただ、全体としての印象になると、部分的に凹凸が感じられる。じつによく調べて配列されているのだが、深みに欠けるところは少なくない。これは「アウシュヴィッツと知識人」というテーマの巨大さ(二〇世紀全体から人類史全般まで思索はとめどなく拡大していく)によるもので、著者の力不足を示すものではない。むしろ、無謀なほどの挑戦を賞賛すべきだろう。

 まあ、著者への評価は、べつの機会にゆだねる。
 とりあえず、不満をいっておきたいのは、翻訳書としての姿勢についてである。
 もう少し丁寧な本造りを出来なかったのか。原注の引用書目がすべて日本語表記になっている。便利なようだが、これだと、原著のありかをたどりにくい。それに、邦訳があるのかないのかの注記も(一部しか)ないので、参考にするには限界がある。
 索引もつけるべきだろう。
 その他、細部で疑問点が残るところがいくつか。翻訳の不備か、原著自体の論述不足か。精読すれば、もっと出てくるかもしれない。
 おびただしい引用があり、それも分節化されたものが主要なので、著者がそれらをどう構成(加工?)しているのか、解釈しにくい。著者の文体(スタイル)の一環として受け取るしか読み取りようのないところが多い。しかし、引用(引用された諸家の見解、もしくはその思想傾向)と、引用する著者の思考とは、必ずしも、統一性をもって表出されているわけではない。要するに、著者が自分の文体に都合のいい抜き書きを強行しているようにも読めてしまう部分については、疑問点を留保せざるをえないのだ。
 訳者は、この点で、著者の博引旁証を綿密にチェックしていない、と明かしている。そもそも、それは不可能だった、と暗に告白したような具合だ。訳者はトラヴェルソの専任ともいえ、また、ロベール・アンテルム(本書でも重要な役割りを示す)の唯一の著作『人類』の翻訳者でもある。アウシュヴィッツ(という壮大なテーマ)についての熱烈さは疑うべくもない。
 そう考えると、余計に不満が嵩じてしまう。


 

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