ハルムス選集
このサイトに「魯西亜探偵小説の雷鳴」というカテゴリを増設して、予告めいたことを書きおいたのが、三年前の八月。『快楽の仏蘭西探偵小説』の刊行より少し前だった。
それきりになっていたのを、遅ればせながら、整理しておく。
ロシア探偵小説といっても、材料的には、ほとんどまるで手がかりがない状態だった。今も同じだが。
久野康彦「革命前のロシアにおける探偵小説の歴史から ーー「ロシアのガボリオ」A・シクリャレフスキーと20世紀初頭の「分冊シリーズ探偵小説」」2001 という研究論文は見つけた。これによるだけでも、ロシア探偵小説という「世界圏」の独自性は歴然としたものだ。西欧系とはまったく異なる世界観を発している。定型が違うのだ。解決篇(謎解きによる完結)の仕様がそもそも違う。それは、探偵の人間像にも反映されるだろうし、作品世界に充填される「メッセージ」も自ずとべつの彩りをおびるだろう。
くわえて、ホームズもののパロディやドラマ化の水準をみれば、ロシア探偵小説は無視できない領域だと思えていた。
そのあたりの見当はついたが、これは、多くの作品例によって実証してみないと話にならない。
『北米探偵小説論21』1088-1098pに不充分な記述はあるけれど。
この特異性を一冊の書物にまとめるには(現実化すると仮定してのことだが)、ロシア語をイチから学んで、ロシア(ソ連)産の大衆小説を大量に読みこなして(読む以前に、どれだけ探しあてられるかどうかも不明だが)、それを土台に考察を練らなければならない。ーーこれはちょっと無理だ。
俺のアタマには語学的アプリケーションが本来的に装備されていないーーと気づいたのは何時のことだったか。欠陥は他にもいろいろあるが、これはかなり厳しい条件だ。もちろん、ロシア語にかぎらない。じつは、十年ほど前に、朝鮮語(少なくともテキストを読みこなせるレべル)に挑戦したことがある。この学習は、2017年に『北米探偵小説論21』にとりかかったために、いったん休止した。その後『快楽の仏蘭西探偵小説』が連続し、結局、五年間五千枚の長い仕事のあいだ、やむなく休止がつづく。休止から再開への途はあったのだが……。要するに、以前に努力した学習の成果が、あらかた俺のアタマのなかから消滅していたのである。たどたどしく少しは読めていたハングル文字が、もう「図形」にしか認識できなくなっていた。
こうした愚行(時間の無駄というか)を、ロシア語相手に繰り返そうとは、とても決意できなかった。
そのため、代行的に、ロシア映画を集中的に観る日々がつづいた。
https://ro.atbl6.online/
その多くが、プーチン独裁下の好戦的戦争映画。精神的にはきつい「苦行」にしかならなかった。
ーーまあ、こんなことは、三年前に告示しておいたほうが良かった事柄だ。

思い出したきっかけは、この本。
ダニイル・ハルムス『言語機械』
ハルムス(1905-42)は、スターリン獄の時代に生きた、不運なアヴァンギャルド詩人・作家。児童文学の方面で、よく識られている。
『言語機械』は、奇抜な詩やエッセイを集め、ハルムスの真髄を伝える、日本版選集。
《生は働いている時間と働いていない時間に分かれる。働いていない時間は枠組み、すなわち管を作る。働いている時間はその管を満たす。》85p
《1 無い世界を存在していると呼ぶことはできない。なぜなら、それは無いからである。》108p
こうした断片を取り出してみると、マルセル・エイメと、真っ直ぐつながってくるように想える。
だが、早合点は禁物。これは、よくよく念入りに追究しないと視えてこないテーマだ。空振りに終わるかどうか。いや、持続には値いする。今は、とりあえず、ここにメモしておくにとどめるけれど。
ついでに、ウラジミール・ソローキンの新作『ドクトル・ガーリン』について一言。この作家のことは、すでに『北米探偵小説論21』1150-1151pに尽きているが、どうも気になったのでーー。
失望した。『氷』三部作の、第二部・第三部への失望と同じだ。
最初の百ページくらいしか良くない。
チタン製の義足をつけた精神科医。彼の勤務するサナトリウムは、八人のプーティ(尻人間)と呼ばれるミュータントみたいな患者を「治療」している。それぞれG8の世界指導者の人格を模した患者造型にソローキンの毒ある諧謔が冴える。外界には戦争。医師が読む作中小説では、スターリン死後にベリヤが権力を掌握した仮想世界が描かれる。
しかし、書き出しの、二重の設定は究められることなく、ともども途中で放棄されてしまう。ストーリーを引っ張っていくのは、すでにソローキンの以前の作品で使われていたアイデアの「再利用」にすぎない。解説には「集大成」という評価があり、たしかに集大成は集大成だが、そこに作者の衰えと後退があることは、どうにも否定できない。

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