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プーチンの戦争

プーチンの戦争

更新日記 2024.07.03
プーチンの戦争
 ダニエル・シルヴァ『償いのフェルメール』The Collector 2023 は、奇妙なスパイ小説だ。


 『北米探偵小説論21』では、この作家のシリーズ作を、イスラエル探偵小説といった視角からとりあげている。1084ページから1087ページ。
 絵画修復師というオモテの顔を持つヒーローが活躍する。この点は一貫していて、本書でも、彼の立場は《子供時代の影響により、…第二世代ホロコースト生存者症候群の典型》と説明されている。この作品も、名画をめぐる盗難事件に端を発するが、最終的な「敵対者」はロシア大統領であり、ウクライナに侵略した「彼の戦争」の極秘作戦なのだ。「彼」は、作中「ワロージャ」とか「ウラジミール・ウラジミロヴッチ」とか呼ばれている。
 作者は、巻末の「著者ノート」において、あくまでエンターテイメントとして読んでもらいたいと断わることによって、まったく逆の要求を読者につきつけている。現下の戦争について、エンターテイメント小説が許す領界をやぶりかけてまで、反プーチンの論陣を張っている。
 メインになるロシアの謀略的軍事行動(ヒーローによって最終的に粉砕されて結末がつく)は、徹頭徹尾プーチンによって計画され、実行されようとする、というプロットだ。一般に、フィクション作品の処理であれば、こうした謀略作戦は、政権内の狂信者とか裏切り者の責任となる。この作品のように、すべて現存する実在の人物に帰されることはまず「ありえない」のである。
 ロシアによる侵略的祖国愛国戦争は、スパイ小説をも、別の次元、別の領域に跳ねとばしていくようだ。
 一言でいえば、この作品の反ロシアはいわゆる西側視点の典型であり、ル・カレ初期の冷戦期反ソ連スパイ小説のレベルまで後退している。しかし、これが単純な後退などといって済ますことが不可能なほど壊滅的現象の一端であることは、誰にも否定できないだろう。

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