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喪われたマルセル・エイメを求めて

喪われたマルセル・エイメを求めて

 「ああ、書いておけば良かった」のつづき。
 『NADS21』445ページ下段、その他につながるか。

 
 悪夢にうなされるような本。などと書いても、今どき誰の眼もひかないだろう。悪夢本を読んだ後に、そっくりの悪夢にうなされる、とかいう話をつくっても、あまりに月並みすぎて、日記に書く値打ちすらない。
 逆に、悪夢本を我慢して読んだ功徳で、素晴らしい夢の訪れに恵まれたーーという話なら、多少は書きとめておく値打ちはあるかも。
 おれのみる夢の99パーセントは、みたことを後悔するたぐいの悪夢だし、このところ悪夢率は下降線を呈しているので、気分的には楽になってはいる。
 ところが、今朝(?)の夢の内容は、「十年に一度」クラスのポジティヴなものだった。
 おれはーーマルセル・エイメのような小説家に変身して、暗号めいた小説をせっせと書いていた。いくつかのブロックがあって、各ブロックには独立した意味も相互の連結もないけれど、積み重ねていくにつれ、一個の作品に成る、というもの。作品の全体を頭に浮かべながら、陶然として、おれは、各ブロックの細部をつくっていた……。
 そこで、悪夢率の話だが。悪夢のダメージを覚醒時にもちこしていては、身も心も崩壊するから、自衛策をこうじていた。夢と覚醒のあいだに防壁を築く。要するに、例外なく全部、すぐに忘れてしまう習慣をつけた。悪い夢だから忘れたい(逆に、いい夢だったから残しておきたい)とかいった選別がはたらくと、かえって、記憶のすみにしつこくへばり着いてしまう。
 この自己鍛錬のおかげで、たまに愉しい夢もあって珍しいと想うことはあるにしても、とにかく、覚醒めて一時間後くらいには、すべて夢の記憶は「喪われて」いるのが常態だ。
 だからーー上に記した夢の概要も、言葉にしてみると何だか心もとないかぎりだ。どこが「素晴らしい」のか、自慢できるようなものではない。
 
 バルザックとエイメの関連についてはーー。
 第三章に書く予定だから、まだ先のこと。
 ところで、話のマクラとなった悪夢本とは? タイトルだけ書いておく。
 『イスラエル諜報機関暗殺全史』ロネン・バーグマン
 

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