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鏡のなかの逆さ時計

鏡のなかの逆さ時計

 四半世紀は使っていた「逆転時計」についに寿命が来た。鏡に正しく時刻を映す時計。いつも目線の行くところに在るものが無くなると気分が落ち着かない。代わりを探してみたが、デザインは同じでも、サイズが大きくなっているので掛けられない。


 思案中のところ、予定外に夏休みをとる成り行きになった。あの、支持率が安定している間は自画自賛と野党の揚げ足取り、支持率が低迷してくると途端にビョーキになる、というわかりやすい性格の日本国ソーリだってとる夏休みだ。オレだってとる権利はあるぞ、と思ったのが大きな間違い。
 休暇中、某誌から執筆者が入院した(コロナor熱中症orコロ熱W杯)ので、先生の締切を一週くりあげても大丈夫なりや否や、との連絡。いいですよ、と返事したが、何も用意していない。その他、図書館の催促、洗濯機の故障など、諸事多難。
 早くFFDSの仕事(今月中に第一章の下書きをつくる)に戻りたいのだけれど、あと何日かは時間を獲られそうだ。
 
 小森収編の『短編ミステリの二百年』は、英米短編ミステリ・アンソロジーとして、作品選定よりも、その解説がページの半分くらいを占める点において画期的な本だ。解説のところだけで、延々と一大長編評論の体裁なのである。そのvol.3の443ページから次ページにかけて、こうある。
 
 《野崎六助は……ストリブリングについて『カリブ諸島の手がかり』のみを論じ、あとは切って捨てていますが、それは正しい態度だったかもしれません。》
 
 調べてみると、ストリブリングのポジオリ教授シリーズは、あと二冊の翻訳が出ているが、増補版(NADS98)の後だったので、論考にはおさめられなかった。いちおうチェックはしたが、あまり感心するところもなく、そのうち忘れてしまった。だから《切って捨てて》というつもりはないが、他人の印象では、一刀両断したように視えるのか。
ストリブリングの他の作品への小森の論評を読んでも、内容は思い出さないが、こんなに下らなかったのかと気づいた次第。

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