『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』
『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』エドゥアール・ガレアーノ 1971
われわれの国々では、テロ産業は他の産業と同様に、外国のノーハウに高い代価を払っている。
地球上のあらゆるところで試験ずみのアメリカ合州国の弾圧の技術体系が購入され、大々的に適用される。
しかし、この活動領域でラテンアメリカの支配階級がなにがしかの創造的能力を有していることを認めないのは不当であろう。
われわれのブルジョアジーには、自主的な経済発展を実現する能力はなかった。
彼らの民族産業創出の試みは低い水準のものであり、しかも短期間で終わってしまった。
われわれの歴史過程を通じて、権力の所有者はまた、彼らの政治的想像力の貧困と文化的不毛性についても、ありあまるほどの証拠を提供している。
他方、彼らは、巨大な恐怖の機構の組み立て方を知っており、人と思想の絶滅の技術に対して独自の貢献をしている。
アルゼンチンでは、もはや政令によっていかなる本も禁止する必要はない。
新しい刑法が、いつものとおり、破壊的とみなされる書物の著者と発行者を有罪として罰するからである。
しかしまた、それは、少しでも疑わしい原文を敢えて印刷すれば印刷業者を罰し、それを大胆にも売れば配本業者と書店主を罰し、そして、さらに、これだけでは不十分だと言わんばかりに、読者がそういう本を読んだりしまっておけば、読者をも罰するのである。
……ウルグアイでは、隣人を密告しないことは罪である。
『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』エドゥアール・ガレアーノ 一九七八年新版への序
大久保光夫訳 1986.9 新評論 27、29p
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